【舞台探訪】『言の葉の庭』~七月、八月(3/4)

新海誠監督の映画『言の葉の庭』の舞台探訪の記事、第三章です。
今回は七月、八月の章です。

→前章までの記事はこちらです。
【舞台探訪】『言の葉の庭~六月其の一(1/4)
【舞台探訪】『言の葉の庭~六月其の二(2/4)


■舞台探訪 [七月、八月]
※各シーンの場所情報はGoogle Mapにまとめてあります。各々の場所を確認されたい方は、当記事末尾に掲載しているMapを拡大してご覧下さい。
※各シーンの時刻はBlu-ray/DVDの再生時間です。再生プレイヤーによって若干のズレがあるかもしれません。

「あの、俺・・・今、ちょうど靴を一足作っているんです。誰のかは決めていないけど、女性の・・・靴です」 
(『言の葉の庭』)


18:38 Scene56:東屋上方 
(不明)


東屋の上には通路がないので実際には撮影できないアングルです。ロケハン取材の特権で撮影できたのかもしれません。


18:53 Scene57:東屋 
Map15



19:03 Scene58:東屋 
Map15



19:43 Scene59:東屋 
Map15



灰皿が邪魔です・・・。


20:18 Scene60:東屋 
Map15



20:32 Scene61:東屋 
Map15


「わたしね・・・うまく歩けなくなっちゃったの・・・いつのまにか・・・」 
(『言の葉の庭』より)


言の葉の庭』の素晴らしさは、当然のことながら風景描写だけではありません。人物の身振り、視線の微かな揺らぎ、繊細な指先の動き・・・。それらが風景の美と相俟ってこの作品に深い味わいを与えています。東屋でタカオがユキノの素足を採寸するシーンは前半のクライマックスでしょう。(恐らくは)初めて異性の肌に触れる瞬間のときめきや高揚を心の隅に押し込めながら、大切なものをそっといたわるような手つきでユキノの素足に触れるタカオの指先の描写には抑制されたエロスが溢れ出ています。この一連のシーンがセックスの隠喩であることは言うまでもありません。決してあけすけにではありませんが、新海監督がこれほど生々しく官能的なシーンを描くとは意外でした。嬉しい驚きでした。


21:00 Scene62:蝉


この写真は新宿御苑で撮影したものではなく、京都の下鴨神社の御手洗祭(みたらしまつり)の夜に撮ったものです。撮影日は2013年7月22日。なかなか見る機会のない珍しい瞬間だったので撮っておいたものですが、偶然このカットに似た構図になっていたので、参考写真として掲載しておくことにしました(写真は左右反転させています)。セミさん、ありがとう。


21:17 Scene63:喫茶店(?)のユキノ
(不明)


物語の展開上、新宿御苑の中でないのは確かだと思うのですが、では一体どこなのでしょう?継続調査中です。


21:29 Scene64:JR千駄ヶ谷駅遠景(上り道)
Map30




写真は消火栓の位置が若干右へずれています。厳密にはもう少し後ろに下がって撮るべきでした。このカットは、劇場公開時の併映作品『だれかのまなざし』のワンカットでも同じアングルで登場します。2枚を見比べてみると、全く同じ背景画を元にしていることが分かります。

『だれかのまなざし』(新海誠監督)より


さて、Scene64のカットと写真について少し解説を加えます。
その前にまず同じ場所で私が撮った下の写真(左)とキャプチャのカット(右)とを見比べてみて下さい。違いが分かりますか?

そうです。映画のカットの方は、ゆるやかに右側に傾いていますね。写真を拡大して補助線を引いてみます。


この道は坂道ではあっても、撮影ポイントである頂上にあたる場所は丘陵地帯ではない水平な土地であって、カットのような左右の傾きは本来はありません。普通にカメラを構えれば上の写真のようにごく自然に水平に写ります。つまりこのカットは自然な撮影ポジションに逆らうように、微妙に右向きに傾いている訳です。


このシーンではまず、画面左から右へと走り抜けていくJRの車両の動きに視線を奪われるため、意識は否応なく画面の右側へと誘導されます。その時、この構図は全体に右側に傾斜しているので、先ほどの電車の動きがもたらした左→右へのベクトルは、画面右端の中央からやや下へと集中する効果が生まれます。そこにいるのは坂道を上ってくる帽子を被ったユキノの姿。更によく見ると、左側の奥へ向かってランニングする男達は影に隠れており、対する右側のユキノは陽光に照らし出されています。ここには、ユキノの存在に意識を集中させるための視線の力学とでも言うべき計算しつくされた画面構成の妙味が感じられます。もうお分かりかと思いますが、Scene64のカットに合わせた私の最初の写真は、カメラを意識的に斜めに傾けて撮影したものです。これは実際に現地へ行かなければ知りようのない事実でした。


こうやってキャプチャと完璧に一致させて写真を撮るからこそ見えてくる事実関係というものがあります。そして、そこで見出される現実の風景との差異や欠落や過剰な要素にこそ、制作者が背景に託そうとした演出意図が込められているはずです。それを発見するために、それこそ針穴を通すような厳密なアングル合わせを行う・・・それが私の舞台探訪における取材姿勢です。この場合、アングル合わせは目的ではなくあくまで手段です。すべては、なぜこの場面がこのように描かれる必然性があったのかという理由を探り出すための行為に他なりません。そういう意味では、私のやっていることは多分、舞台探訪ではなく舞台考察、或いは背景の図像学(イコノグラフィー)*1とでも言うべき活動なのかもしれません。


21:39 Scene65:JR千駄ヶ谷駅からの上り道
Map30



Scene64とほぼ同じ位置から望遠で奥の一部分を拡大したものです。私の手持ちのコンデジではそれでも足りなく、最終的には画像を拡大してトリミングしました。質の粗い画像ですがご容赦下さい。


21:40 Scene66:柵越しのユキノ
Map31



かろうじて左側の電柱の広告、奥のJRの車両(オレンジ)が確認できます。ユキノの姿に被さるこの縦の棒状のものは新宿御苑の柵です(Scene64の道路左側)。

つまりこのカットは新宿御苑の内側から柵越しにユキノを見た図となっている訳です。奇妙な構図です。ユキノの意識が今も新宿御苑の中にあって、御苑の内部の重力から逃れることが出来ないでいる・・・そんな彼女の心理状態を表しているかのようです。

先の電柱の広告を正面から見たところです。

「でも本当は、梅雨が明けてほしくなかった・・・」 
(『言の葉の庭』)


21:47 Scene67:イギリス風景式庭園の芝生越しの高層ビル
Map32



実際には存在しない樹木がカットの一番左端に追加されています。右側の樹木とのバランスが良くなって、緑の豊かな広場という印象が強まっています。
家族連れで賑わうイギリス風景式庭園の芝生。東屋に訪れるカップル・・・。晴れた日のこの場所は、ユキノとタカオの二人だけの聖域ではありません。Scene47の解説を参照。


22:07 Scene68:『行人』(夏目漱石新潮文庫


ユキノが東屋で読んでいる本は、夏目漱石の『行人』(新潮文庫)です。彼女が開いたページは、義姉との不倫関係を疑われた「自分(=二郎)」が兄に呼び出されて真意を問われる辺りのシーンです*2。疑心暗鬼の塊となっている兄に何をどう説明しても信用されることはあるまいと、諦め半分で適当な生返事をしてしまう二郎に向かって癇癪を爆発させる一歩手前の兄。


『行人』の頁を捲るユキノは、タカオが姿を見せなくなったことに一抹の寂しさを覚えているのですが、『行人』のこの場面がその心理状態のメタファーとして選ばれたのかどうかまでは分かりません。強いて言うなら『行人』の主人公である二郎と義姉は、この場面の前に旅行先の和歌山で大雨のために足止めを食らってしまい、案内された宿屋の部屋で二人だけで一夜を過ごすという展開がありますので、雨がきっかけとなって引き留められることになった義姉と二郎との関係性の中に、ユキノは自分とタカオとの出会いと逢瀬の日々を重ね合わせていたのかもしれません(女性の方が年上という点も符号します)。


22:54 Scene69:「あたしの靴も作ってくれないかな」

タカオの兄の彼女の台詞です。うっかりすると聞き逃すところですが、「くつ」のアクセントが関西弁です。標準語であれば「く→」「つ→」とフラットなアクセント(直前のタカオの兄の発音を参照)になるところが、「く↑」「つ↓」といったように、第一音節の「く」にアクセントが来ています。公式サイトでキャラクター設定を確認したところ、この彼女さんはちゃんと関西出身という設定になっていました。思わず唸りました。完璧です。


23:02 Scene70:格安チケットショップ前
Map33



やや分かりにくい場所ですが、画面左端にある居酒屋店頭の道具類、格安チケットショップ横の電柱に括りつけられた看板から特定できます。

カメラの角度を少し上げて撮影するとこうなります。画面中央の消火栓の標識の影が、カットにはしっかり描かれています。

居酒屋の店頭の様子。開店するとこれらの道具類も場所を移されてしまうので、カット通りに再現しようと思うなら開店前を狙うしかありません。

格安チケットショップの電柱の看板は実際にはこのようなものです。新幹線の料金表です。

「あの場所に行く口実が出来ないまま、夏休みが来た」
(『言の葉の庭』)


23:50 Scene71:JR埼京線新宿駅手前
Map34



これはJR埼京線池袋駅新宿駅へ向かう途中、新宿駅到着少し前に進行方向右側(西向き)から撮影した写真です。画面奥にある高層ビル群と手前の背の低いビルが、このアングルでこの高さで見える位置は、新宿駅に入線する一番東端の埼京線からしかありません。中央・総武線や山手線では、手前のビルが近すぎて奥の高層ビルが隠れてしまうからです。しかも同じ埼京線であっても、劇中の進行方向に合わせて新宿から池袋方面に向かう車両からだと、左手前の茶色の建物と奥のビルとの位置関係が合いません。結局、劇中とは逆の進行方向で撮るしかありませんでした*3


本来、このシーンはバイト先(Scene33)の仕事を終えたタカオが、新宿方面から電車で帰宅の途につく場面なので、Scene03から判断して、中央・総武線に乗って中野方面に向かっていると考えるのが妥当です。それを裏付けるように以下のScene72では、タカオの乗った車両の向こうにオレンジ色の帯の中央快速の姿が見えます(途中で追い抜いていきます)。DVDのキャプチャなので非常に見づらいのですが、行先には「高尾」の二文字が確認できます。


23:54 Scene72:JR車両内



行先表示に「高尾」の文字が見えます。


ということは、やはりタカオが自宅から新宿方面に通う路線は中央・総武線と考えてまず間違いないと思いますが、Scene71のビルの眺望といい、Scene34~36の山手線からの風景といい、必ずしもそこからの車窓風景だけが描かれている訳ではないようです。


23:58 Scene73:JR車両内


実は車内にはこのステッカーは貼付されていません。写真は車外から撮ったものです。


24:32 Scene74:東屋天井
Map15



極端なローポジションからのアングルにつき、殆どそのままでは撮影できないので、右奥の3本の樹木に合わせてみました。


24:58 Scene75:NTTドコモタワーからの眺望

一般人には撮影不可能なカットです。空撮した映像を元にしているのかもしれません。なおこのカットの方角は、新宿御苑の池の形状から見て東向きです。真東からやや北向きの地平線付近に太陽があるので、この場面が夏の朝の風景であることが分かります(日没ではありません)。

「晴れの日のここは、知らない場所みたい。27歳のわたしは、15歳の頃のわたしより、少しも賢くない。わたしばっかり、ずっと、同じ場所にいる・・・」
(『言の葉の庭』)


→次回最終章、「九月、そして(4/4)」に続きます。

当記事に掲載した『言の葉の庭』の画像および台詞は、著作権法32条に定める研究その他の目的として行われる引用であり、著作権は全て、新海クリエイティブ/コミックス・ウェーブ・フィルムに帰属します。

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(2013/9/25 記)

*1:より厳密には図像解釈学(イコノロジー)的なアプローチに近いと言えるでしょう。エルヴィン・パノフスキーを参照。

*2:実際の文庫本は、劇中で描写されたものとはページ数や活字の組み方に若干の違いが見られます。劇中では本の右上の頁数が262ページとなっていますが、新潮文庫版(平成25年2月5日104刷)は208~209ページの見開きです。また1ページあたり16行であるのは同じですが、アニメの方が1行あたりの文字数がなぜか2文字少なく描かれています。

*3:ちなみにこの写真もScene34~36と同じく、撮影のタイミングが非常に難しく、こちらの方は新宿~池袋間を7往復くらいして撮影しました。