【記事紹介】STARBURST MAGAZINEによる山田尚子監督へのインタビュー(2022/10/30)

 さる10月21日から30日までイギリスのスコットランド(グラスゴー、エディンバラ)で開催された日本のアニメーション作品の映画祭Scotland Loves Animation 2022において、山田尚子監督の新作『Garden of Remembrance』がワールドプレミア上映された。この映画祭に招聘されていた監督は、同時期にイギリスの雑誌メディアSTARBURST MAGAZINEのインタビューを受けている。その記事が公開されたので、以下に紹介しておきたい。
 STARBURST MAGAZINEはイギリスのマンチェスターに拠点を置くStarburst Magazine Limitedが発行する各種エンターテインメントのニュース、インタビュー、特集、レビュー等を掲載している老舗の雑誌である。創刊は1977年。現在は主にWebマガジンとしてニュースやレビューを毎日リリースしており、紙媒体の誌面も年4回刊行されているらしい。
Starburst (magazine) - Wikipedia

 山田尚子監督へのインタビューは、ワールドプレミアの上映日である現地時間2022年10月28日(金)の数日前、その週の前半にロンドンでおこなわれた。

 インタビューは30分程度だったそうだが、新作『Garden of Remembrance』が生まれた経緯、それを作ろうと思った動機、これまでの作品との制作プロセスの違い、サイエンスSARUとの仕事について、アニメーションというメディアの特性や表現形式の重要性についてどう思うか、なぜ監督はアニメーションの道を選んだのか、ご自身の作品のスタイルはどのように形作られたのか…など、日本のアニメーション雑誌やWeb記事が質問することのないような部分にまで踏み込んでおり、非常に興味深い発言を監督から引き出している。

 全文を日本語に訳して掲載したいところではあるが、著作者の許可を得ずに掲載することは著作権に含まれる翻訳権に抵触することになるので、あくまで引用の範囲内での紹介に留める。今はWebのページを丸ごと機械翻訳できる時代なので、日本語で読みたい方はそちらをご利用いただきたい。

 ただしその場合、山田尚子監督の発言を通訳が英訳した言葉を、今度は更に日本語へ(それもAIが)訳し直すという二重の翻訳過程を経ることになるので、おそらく元の発言の微妙なニュアンスはかなり失われている可能性があるという点には注意が必要だろう。私が引用する箇所は、多少の意訳も加えて、できるだけ自然な日本語になるよう補足しているが、なにしろ監督の元の発言を知ることができないので、英語の原文がどこまで元のニュアンスを正確に汲み上げているのかは確認しようがない。その辺りもご留意いただければと思う。

 以下は同インタビュー記事の感想とコメントである。山田尚子監督の発言箇所は青字の斜体に統一しておいた。なお、『Garden of Remembrance』のワールドプレミア上映の様子については、当ブログの前回の記事の最終章で軽く触れているので、合わせて参照いただきたい。


新作を手がけた動機について
 まず、新作『Garden of Remembrance』のアイデアについて「人生の終わりという出来事を自分はどう受け止めるか、周りの人がどう影響を受けているかについて考えたことから生まれました」とある。前記事でも触れた通り、作品のタイトル自体がはらむ”死”のイメージに監督が真正面から対峙していることが分かる。今後も決してご自身から語るようなことはないと思うが、やはり2019年7月の事件以降、決定的に変わってしまった何かを感じざるを得ない。それは『平家物語』に一貫して流れていた、亡き者たちが確かに生きていた証としての命の輝きをフィルムに刻みたいという想いと同質のものだ。作品制作を通じてのグリーフワークは今も続いていると思えてしまうのは穿ちすぎだろうか。


”to push myself as a creator”
 私の目を一番引いたのは次の発言である。

 「プロデューサーのチェ・ウニョンさんからこの短編のお話をいただいたとき、クリエイターとして自分を押し出すためのリソースを与えていただけると思い、このチャンスに飛びつきました」

 山田尚子監督は、いつも与えられた題材に対して、その世界観やキャラクターに一番合った演出を考えてきた人だ。他人の作品を借りて自分を表現するのではなく、その作品がどう表現されたがっているかを汲み上げ、徹底的に考え、それを形にしてきた人だと思う。そこにはアーティスト・エゴを振りかざすこととは対極の、元の作品に対する深いリスペクトと職人的で真摯な創作姿勢がある。しかしここでは、はっきり「クリエイターとして自分を押し出す」(原文:”to push myself as a creator”)と明言しており、これは今までの作品制作の姿勢とは一線を画していることが窺える*1

 前回の記事の最終章で、私は「15分の短編はこれまで山田監督が手がけてきた商業作品とは明らかに性質の違うものだ。インディペンデントのアニメーション作家の作品のような、あるいは名の知れた商業映画の監督が自分自身のアーティスト・エゴを叶えるために撮った実験映像のフィルムのような、そんな作品を想像してしまう。いよいよ本当の意味で山田尚子というクリエイターがその作家性を明らかにする機会がやって来たのではないかと思う」と書いた。

 もしかすると山田尚子監督は、自分自身のアーティスト・エゴをむき出しにできる場所、「商業性」を度外視した「作家性」の高い創作活動に取り組むことのできる機会をこれまでずっと待っていたのではないだろうか。それがようやく『Garden of Remembrance』で実現したのだとすれば、この作品が成功し、評価された暁には、山田監督の今後の創作活動に新たな道が開かれることになるだろうと思う。前記事で私は「監督のキャリアの中で後になって幾度も参照される重要なマイルストーンになるような予感がする」と書いているが、このインタビューを読んだ今は半ば本気で確信している。


なぜアニメーションの道を選んだのか
 ここも重要な発言なので、少し長いが拙訳を載せておく。

 「元々、この道へ進むことになった当初は、アニメーションの仕事でなくてもよかったのですが、ビジュアル・アートや動く映像を伴った物語を作ることにはずっと興味を持っていました。芸大に通っていたので絵を描きたいという気持ちもありました。その時点では自分がどのような道に進みたいのか明確ではありませんでしたが、チェコのアニメーション作家、ヤン・シュヴァンクマイエルの作品を見て、実写とアニメーションが見事に融合していることに深く感動しました。それはこのアートの形式で何が出来るのかということを私にはっきりと教えてくれたのです」

 私の知る限り、山田尚子監督がここまで率直にアニメーションの道を選んだ理由や、その来歴について語ったコメントはこれまで目にした記憶がない*2。それもそのはずで、通常、雑誌を中心とする日本のアニメーション・メディアは「作品」に焦点を当てることが多く、「監督」自身のパーソナリティを深掘りする機会はあまりないし、そもそもその需要も少ないからだ。あるとすれば、先日、湯浅政明監督を特集した「ユリイカ」などのように、山田尚子監督の活動を包括的に取り上げた評論集やムック本の登場を待つより他にないだろう。そういった意味で、ごくわずかなボリュームではあるが、このインタビュー記事の持つ価値はとても大きいと言わざるを得ない。

 生粋のアニメ好きが憧れのアニメ業界に入ってきたという感じではなく、芸術家の卵だった学生時代の山田さんがヤン・シュヴァンクマイエルのアニメーションと出会ったことで、その表現の持つ可能性に目を見開かされて、それを自らの表現のツールとして選んだという印象が強い。シュヴァンクマイエルの作品は、本来動くはずのないものが生命を持って動き回るという原初的な驚きと視覚の悦楽を観る者に与えてくれるという点で、アニメーションの語源(=動かないものに命を与えて動かす)そのものを体現したものである。それらの作品に多大な影響を受けた山田尚子監督が、自らの原点に立ち返って、初めて一人の映像作家として創り上げたのが『Garden of Remembrance』なのかもしれない。

(補記)
本稿公開後、監督の母校である京都芸術大学(在学中は京都造形芸術大学)が発行する広報誌/Webマガジン「瓜生通信」に、卒業生からのメッセージとして、山田監督がご自身の就職活動時のエピソードについて語っているインタビュー記事を発見した(2022年2月14日付)。やはりここでも、アニメーション制作の道を選んだ直接的なきっかけがヤン・シュヴァンクマイエルとの出会いだったことに言及されている。ロンドンでのインタビューの回答と重複する部分もあるが、アニメーション業界を目指している学生や若い世代に向けてのメッセージなど、ここでしか読めない発言もあるのでファン必読の内容かと思う。「私自身は、時代の変化にとらわれすぎず、根を下ろして、ずっと残る普遍的なものを作っていきたいという想いがあります」という言葉は、山田尚子監督の新たな決意表明のように思える。

 なお、山田監督のシュヴァンクマイエルへの傾倒ぶりは、かつて京都アニメーションのイベント(2015年10月31日)でもご本人の口から語られており、チェコのプラハにあるシュヴァンクマイエルのアトリエ(兼ギャラリー)を訪ねたら開いていなくて、ずっと立ち尽くしていたら近所の人に不審者扱いされたというエピソードを紹介されている。こちらに当日のステージ・トークの記録を書き残しているので、興味のある方はお読みいただきたい。

作品のスタイルについて
 山田監督の現在の作品のスタイル(作風)はどのように確立されたのか?という質問に対して、「監督になった時からスタイルを確立したかったのは確かですが、それは自然に起こったことでもあり、最初からそれを推し進めていたわけではありません」と答えている。「山田尚子節」というか「山田尚子調」とでも呼ぶべき作風や演出、作品に流れる空気感は、特に意図してのものではなく、これまでのキャリアの中で自然に培われてきたというニュアンスだろう。

 このままだと結局、全文引用してしまいかねないので、最後にあと1点だけ触れて本稿を終えることにする。

ロンドン/イギリスの印象
 「今回のロンドンとイギリス滞在はあなたにとってどのようなものでしたか?」という質問には、「エレクトロニック、ニューウェイヴ、パンクなど、この地を発祥とする音楽の長年のファンなので、私はずっとロンドンが大好きです」(原文:”I’ve always loved London as a city as I have been a fan of lots of music that originated here – including Electronic, New Wave and Punk. ”)と、一番に音楽への愛を語っているのが、いかにも山田さんらしい。

 ここで紹介した内容以外にもまだまだ興味深い発言が掲載されている。ここから先はぜひ原文をお読みいただきたい。


2022年11月3日 記

*1:『Garden of Remembrance』の公式サイトには「監督・脚本 山田尚子」とクレジットされている。山田さんがご自身で脚本を書くのはこれが初めてのことであるが、台詞のない作品らしいので、この場合の「脚本」はストーリーの展開そのものと言って良いだろう。物語の筋書きに至るまですべてを山田さんがコントロールしている初の作品ということになると思う。

*2:本稿執筆後に、比較的同様の内容について既に言及されている「瓜生通信」2022年2月14日付のインタビュー記事を発見した。詳細は下記の(補記)を参照いただきたい。