読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

【レポート】『この世界の片隅に』公開記念!ネタバレ爆発とことんトーク!@新宿ロフトプラスワン(2016/11/20)

(記事公開後、多くの方々よりご指摘・アドバイスを頂戴し、ニュアンスの違いで誤解を与えそうな表現や当方の明らかな誤認識にあたる箇所を修正いたしました。ありがとうございました。2016/11/23)

2016年11月20日(日)に新宿ロフトプラスワンにて開催された「『この世界の片隅に』公開記念!ネタバレ爆発とことんトーク!」の簡易レポートです。


元々はレポートを書くつもりはなく、いつものようにメモ帳を手元に置いて、興味を引いた箇所だけ随時メモっていたのですが、イベント終了後、twitterでその一部を呟いたところ、こちらの想像を遥かに越える反響があり、このトーク・イベントへ寄せるファンの皆さんの関心の高さに驚かされることになりました。f:id:los_endos:20161121220228p:plain
新宿ロフトプラスワンへ下る階段脇にある告知。

以下のレポートは、先にtwitterで紹介した文章を補足した上で再録し、呟けなかった内容も大幅に追加したものです。またtwitterでは時系列も発言者も分からないランダムな書き方をしましたが、ここでは第1部~第3部までの流れに沿った形で採録します。ただし上述の通り、レポート作成を目的としたメモ録りではないので、トークのすべてを書き取っている訳ではありません。その点はあらかじめご容赦ください。また適当なメモであるため、事実誤認があるかもしれません。その点についてはご指摘いただければありがたく思います。


なおイベント冒頭に主催者からの注意事項として、SNSでの情報の拡散はOKだが、

1.映画を観ていない人のためにネタバレに類することは呟かないでほしい。
2.オープンにされるとまずい内容については、司会者から指示するのでオフレコにしてほしい。

というお願いがありました。

最初の1.については、ブログ内なので特に問題はないと思います。ここから先は自己責任で進んでくださいと言うに留めておきます。2.については、途中で「ここは書かないで」というシーンが実際にありました。この部分については仰せの通り、記事にはしていません。また特に指示はなかったものの、これは書くべきではないと思われる箇所についても自主判断で掲載を控えています。元々すべてのトークをメモ録りできていたわけでもないという事情も含めて、当記事はコンプリート版ではありません。あらかじめご了承ください。

 

第1部
登壇者:片渕須直(監督)、こうの史代(原作)、真木太郎(プロデューサー)
(敬称略)
f:id:los_endos:20161121220325p:plain
壇上左から2人目が片渕須直監督、右に原作者のこうの史代さん、真木Pの順。第1部のみ撮影OKでした。


・監督はかなりお疲れなのか、オーダーしたドリンクはいきなり「レッドブル」。

・上映2週目を迎えたが、1週目より興行収入が上回っている。この土日だけで2割増し。週間ベースなら恐らく5割増しまでいけるのではないか。こういう作品は年にせいぜい1~2本くらい。本作はまさにこれだった(真木)。

・儲かって悔しがっている人がいる(真木)。

・60~70歳代の客層が多いので、学生や勤め人が観られない平日昼間の客席の埋まり具合が非常に良い(片渕)。

・ネットの情報に詳しくないこの世代の方々に広まってきたのは、新聞・ラジオ・NHKの宣伝が大きいと思う。民放のテレビ局はある事情でこの作品の宣伝や紹介をしてもらえない。この映画を周知する上で一番大きな働きをしているのがSNSの書き込み(真木)。

・今回は失地回復のための負けられない戦いだった(片渕)。

・この作品はプロデュースに反対する人が多かった。こんな作品は世の中は欲していないと決めつけられた(真木)。

・東日本大震災の当日17:00に双葉社で会議の予定があって、ヘルメットを被っている人達の脇をくぐりぬけて双葉社へたどり着いたら「来たんですか」とびっくりされた(片渕)。

・最初のロケハンはその後の2011年5月。そこからも長く予算がつかず、雇っているスタッフ3人分の給料を全部立て替えていた(片渕)。

・クラウドファンディングの初日、もし金額の伸びが悪いようなら自分が100万円ぶっこんでやろうと思っていた。しかし数時間で予想以上の金額になったので、その必要もなくなり取り止めた(真木)。

・ちなみに100万円という出資枠は、実際に100万入れる事態になった時を想定して自分用に用意していたもの。結局、自分以外にも誰もこの額で出資する人はいなかった(真木)。

・制作費は当初の想定の40%分をカットした。その結果、絵コンテも大幅に切った。その時カットしたコンテは、今販売している絵コンテ集にも載っていない。最初のコンテは2時間30分くらいだった(片渕)

・クラウドファンディングに参加していただいた3,374人の皆さんがこの映画の初日を支えてくださったと思っている(真木)。

・なんであれほど集まったのか。それは正直なところまだよく分からない。応募者のいない都道府県はひとつもない(真木)。

・今の世の中、映画もテレビも金が集まりやすいものばかり溢れている。しかし金の集まりにくいものこそ、本当に人が観たかったものではないか(真木)。

・片渕監督の自主映画で始まったものが市民映画となり、今や草の根的な口コミ映画となっている(真木)。

・先にもあったが、とある事情でこの映画は民放各局のテレビで取り上げてもらうのがむずかしい。だからSNSの書き込みがものすごく大事(片渕)。

・twitterの呟きの数は、この土曜日の段階で『君の名は。』を追い抜いたとのこと(司会者)。

・公開初日より1週間後の方が客付きがいい。こういう現象はちょっと今までにない(真木)。

・クラウドファンディング支援者に向けて送られる特典に「すずさんからの手紙」があった。これは計4枚、季節を変えて順番に送られてくるという趣向だったが、4月を最後にぷっつりと途絶えてしまう。その理由を本編の内容と合わせて考えるととても悲しい(片渕)。

・中の人(こうの)が宛先の住所も手書きするという話があったが、さすがに3,374人は無理なので諦めた(片渕)。

・すずさんからの手紙は消印にもこだわりがあり、実際に呉の街で投函して発送している。呉の本局であれば3,374枚を一回で持ち込んで、風景印を押して発送してもらえるが、段々凝った趣向になってきて、次は辰川の支局から出そうと思ったところ、小さな郵便局なのでとても一回では捌けない。預かってもらうということもできないため、呉の協力者に毎日少しずつ持ち込んでもらった。その時、毎日すずさんの歩く道のりを想像しながら通っていたと聞いた(片渕)。

・海外での公開を目指して現在営業活動を続けている。英米、欧州各国、メキシコ、南米諸国、台湾、韓国ですでに上映が決定していて、中国は字幕版の作成を待って営業をかける。メキシコには日本の自動車企業(マツダ)の工場があり、そこの福利厚生の一環として2万枚のチケットの引き合いがあった(真木)。

 

第2部
登壇者:片渕須直(監督)、こうの史代(原作)、尾身美詞(黒村径子役)、新谷真弓(北條サン役)
(敬称略)

・(広島出身の)新谷さんにはキャスティングが決まる前に、広島弁指導のために映画1本分の脚本をすべて1人で収録してもらった。この「方言テープ(実際はCD)」をキャストに配布した。ただし後の人が影響されないように、イントネーションが分かる程度にとどめて、役柄に色がつかないフラットな声を入れてもらった(片渕)。

・しかしその中でも、北條のお母さんのサンさんの声だけはちゃんと芝居がついていた。サンさんがそこにいた。これだけは他の人では二度と出てこないのではないかと思って、新谷さんをサンさんにキャスティングした(片渕)。

・尾身さんの黒村径子さんの役は、尾身さんのマネージャーから「よくぞ尾身からこんな役柄を引き出してくださいました!」と感謝された(片渕)。

・新谷さんのサンさん、尾身さんの径子さんの母娘は声質が似ている。そのため、二人の間にすずさんの声が入ってくると、よそから嫁にやってきた感が強く出る(片渕)。

・のんさんのすずさんと尾身さんの径子さんの遣り取りは実は別録り。のんさんの収録が後だったが、仕上がりを観てみると実際に二人がそこにいて会話しているようにしか聞こえない。のんさんが径子さんの声をしっかり受け止めた上で演技をしているのに驚いた(片渕)。

・リンさん役の岩井七世さんは、すずさんの役が決まらないと決められない役どころだった。収録ものんさん(すずさん)と一緒に録っている(片渕)。

・のんさんは広島弁に苦労していたが、彼女はとても耳がよく、新谷さんが手本を見せるとそれを正確に聴きとって次にはもうマスターしていた(片渕)。

・もうサリヴァン先生の心境だった。W・A・T・E・Rキターッ!!みたいな(新谷)。

・漫画ではなんと描いていいか分からない「くうぅ」とか「んあぁ」といった台詞がのんさんの声で入っているのが嬉しかった(こうの)。

・片渕監督自身も声優として声を出しているシーンがある。「イチ!はい!ニ!はい!サン!はい!」とか「後進一杯、よーそろー」とか。

・80歳代のお客さんが青葉が映っている場面の隅の方を見て「あれワシの家じゃ」と仰った(片渕)。

 

第3部
登壇者:片渕須直(監督)、こうの史代(原作)、尾身美詞(黒村径子役)、新谷真弓(北條サン役)、藤津亮太(アニメ評論家)、氷川竜介(アニメ研究家)
(敬称略)

・ようやく同時代的に片渕監督の作品が評価されて感慨深い(氷川)。

・この映画は当たってほしかった。いい数字が出るのは本当に嬉しい(藤津)。

・twitterでは色々な作品見解を知ることができて面白い。最近ではキャラクターの名前が元素に基づくものという指摘があって「おおっ」と思った(氷川)。

・キャラクターの名前をいちいち考えるのが面倒だったので。最初は『夕凪の街 桜の国』と同じように地名で揃えようかと思ったが、広島と違って呉の地名は「なんとか中央」ばかりで可愛いものがない。船の名前だと劇中で本当に船名を出すので紛らわしい。たまたま手元に元素の周期表があったのでそこから名前を拾った。新しいキャラが出るたびに周期表を見ていた(こうの)。

・自慢になるかもしれないが、自分はこのことに気付いていて、それで最後に登場する戦災孤児の少女の名前を元素の周期表に倣って「ヨウコ」にした(※筆者補足:元は恐らくヨウ素。絵コンテ集には記されているとのことですが、筆者未読のためカタカナで表記します)。こうのさんに聞いたら「兄が要一なのでいいのではないか」と認めてもらった(片渕)。

・たまたま周期表があるというのがすごい。こうのさんは高校の時は化学部だった。理系の人(片渕)。

・片渕監督もファクトを丹念に積み上げるという意味で理系を感じる(藤津)。

・全体像が見えないと「片隅」が描けない。だから正確なディティールの積み上げにこだわった(片渕)。

・映画のヒットに合わせて原作の重版がかかった(真木)。

・オリジナルの3冊版(上中下巻)の後で出版された2冊版の方は、テレビの実写版ドラマの放映(2011年)に合わせたものだったが、大量に刷りすぎて長く在庫になっていた。重版がかかったということはそれもはけたということでホッとしている(こうの)。

・原作の原稿展示は廿日市と調布で過去にやったことがあるが、いずれも部分展示だった。今回のように全原稿のすべてを展示したのは呉市立美術館だけ。原稿はすべて呉市立美術館で保管されているので、この先、また何かの機会で(全原稿は無理でも)展示されることがあるかもしれない(こうの)。

・この先、『この世界の片隅に』をもっと世間に広めていくにはどうしたら良いか?(司会者)

・『君の名は。』は圧倒的に10代の支持を集めている。『この世界の片隅に』に足りないのはこの層。『君の名は。』の3%くらいをこちらに落としてもらう作戦はどうか(笑)。200億円の3%は大きい(氷川)。

・『君の名は。』のこの部分は『この世界の片隅に』のここと共通しているよとか、そういったアピールをしてみては?(笑)(こうの)

・実際、若い人には観てもらいたい。本気で「観た後に配偶者がほしくなる映画」にしたかった(片渕)。

・この映画は夫婦になっていく作品でもある(藤津)。

・「親子連れの客が増えてます。子供は40歳」という話を聞いた(片渕)。

 

まとめ
登壇者:全員+飛び入りゲストの岩井七世さん(リンさん役)

・パンフレットが最初の週に品切れになってしまって申し訳ない。最初に13,000部刷った。その後、8,000部を増刷。紙質が特別で静岡で作ってもらっている。お客さんの40%が購入している(真木)。

・こんなに仲間がたくさんいて負ける気がしない。何と勝負しているという訳でもないが、本気でそう思う(片渕)。

・のんちゃんと一緒に収録したとき、リンさんの残り香を鼻でくんくんするシーンで、息を吸い込んだ状態からくんくんやっているのでいつまで経っても音が出ないのが可愛かった。それを見かねた監督が「息を吐いていいんだよ」と仰っていたのが可笑しかった(岩井)。

・キャラデザ・作画監督の松原秀典さん(=エヴァンゲリオン等)は、自分の絵柄だと分かってしまったらダメだと思って頑張ったと仰っていた(片渕)。

・その方が良かったのでは(笑)(こうの)。

・自分の漫画は誉めない旦那が映画は絶賛していた(こうの)。

・ある日、サントラCDの「みぎてのうた」を聴いていて、これは私のことだと思った(こうの)。

・「のんちゃん役の・・・」と思わず言ってしまう真木Pのハプニングあり。

・最後に客席にいた広島弁監修の栩野(とちの)さんも登壇され、いきなり「憲兵です」。ほかにも6人ほどの声を出しているので探してねとのこと。次回の阿佐ヶ谷ロフトでのイベント(12/11)では北條家を再現したレプリカの模型を出すのでよろしくとの告知。

 

19:00から始まったトーク・イベントは各50分ずつくらいの時間枠で進行し、終了は22:00過ぎ。3時間を越える濃密なトークショーでした。

(2016/11/21 記)

【舞台探訪】映画『聲の形』 舞台ガイド(暫定版)+作品考察メモ(Part.1)

舞台探訪: 聲の形

本稿は9月17日に公開された山田尚子監督の映画『聲の形』の舞台探訪記事(暫定版)+作品考察メモです。一本の記事で映画全編を紹介するのはボリューム的に不可能なので、ストーリー順に幾つかに分けてご紹介します。今回はそのPart.1です。

映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light[形態A]

映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light[形態A]

 

「舞台ガイド」の(暫定版)と銘打っているのは、DVD&Blu-Rayが発売されていない現時点(10月下旬)では特報や予告編のキャプチャーしかないため、掲載した写真のほとんどは映画を観た記憶に基づいて取材したものであり、キャプチャーつきの完全版に向けての第一段階の記事と位置づけているからです。「作品考察メモ」とあるのも、今後執筆するかもしれない作品考察のためのメモをストーリーの要所要所に備忘録として残しておくという趣旨です(執筆しない場合はここでのメモが作品考察記事そのものに昇格します(笑))。

従いまして、まだまだ(完全版)とは言えない記事ではありますが、ストーリー順に写真を掲載し、かつ出来る限り劇中のカットに合わせて撮影しています*1ので、あのシーンのあの場所はどこだろう?と知りたい方にとっては、てっとり早くご利用いただける記事になっていると思います。なお劇中のキャプチャーは場面の説明に不可欠な場合を除き、基本的に掲載しません。キャプチャーつきの舞台探訪記事は(完全版)にリニューアルするまでお待ちください。
f:id:los_endos:20161017164434p:plain
(上)映画公開後の"聖地"大垣コロナシネマワールドのロビーの様子。アニメの複製原画が展示されていました。

このようなコンセプトの記事ですが、写真に添えた場面の説明文や台詞を読み進めているうちに映画を追体験できるような記事になっていれば、作り手としてこれに勝る喜びはありません。掲載した写真の多くは映画公開後にあらためて現地を訪問して撮影したものが主ですが*2、一部は原作探訪時に撮影した写真を流用しています。あらかじめご了承ください。f:id:los_endos:20161017164535p:plain
(上)平成28年10月8日に大垣コロナシネマワールドで行われた舞台挨拶後の山田尚子監督と将也役の入野自由さんのサイン。


なお、大今良時さんの原作全7巻の舞台探訪+考察記事はこちらにあります。適宜ご参照ください。原作の考察も映画を読み解く上で多少は役に立つはずです。
またこれらの記事の中で私は手話の解説を幾つか試みています(拙いものではありましたが)。それらは映画の中にそのまま登場したものもあれば、異なる手話で描かれたものもあります。映画をご覧になったときに台詞や説明がなくて意味が掴み取れなかった手話の幾つかは、この原作版の記事でご確認いただけるかもしれません。合わせてご笑覧いただければ幸いです。 

・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第1巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第2巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第3巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第4巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第5巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第6巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第7巻


原作版で作成したマップ(地図)も映画版でほぼそのままご利用いただけます。ただし映画で初登場となった舞台も幾つかあるので、映画専用のマップもあらためて作成いたします(当記事の末尾に掲載します)。下記の原作版マップと合わせてご利用ください。
・『聲の形』(原作):舞台マップ

 


さて、舞台探訪の記事に入る前に、映画の感想と総括的な考察メモをここに掲載しておきます。舞台背景の写真や情報を早く知りたい方は、ここからしばらく長々と続く駄文は全部すっ飛ばして先へ進んでください。

【考察メモ:総括的な5つのポイント】

1.映画『聲の形』が描こうとしたもの : 原作との相違点
映画『聲の形』は、原作の枝葉の部分を大胆に刈り取ることで、将也の物語に焦点を絞りきった作品となりました。全7巻ある原作を淡々と映画化してしまうとエピソードの羅列になりかねないリスクがありましたが、物語の中心に一本の揺ぎない軸を通したことで求心力をもった完成度の高い映画になったと思います。その分、展開がやや駆け足に思われたり、重要なシーンを割愛したことで説明不足に陥っている箇所もあるにはあるのですが、初回に観た時の映画的な満足度やカタルシスは相当のもので、ありとあらゆる感情を激しく揺さぶられるような全感覚的な体験を味わい、鑑賞後しばらくは頭と身体が痺れたようになって動けなかったことを覚えています。原作ファンも納得の傑作の誕生です*3

映画は、かつて自分の犯した罪の意識のために自己懲罰的なパーソナリティを持った青年に育ってしまった将也が、自らの過去と向き合い、固く閉ざしてしまった目と耳を開いて周りの世界を受け入れる、すなわち自分自身を受け入れるに至るまでの、象徴的な意味での「死と再生」の物語として描かれました。冒頭とラストに出産の瞬間を想起させる映像の演出があるのもそのためです。

原作にあったサブキャラクターのエピソードを大きく割愛した代わりに、将也が一人の人間として生まれ変わるまでの姿を丹念に繊細に描いています。目と耳を閉じて決して触れまいとしてきた過去、そして現在の自分の姿を直視し、それらを乗り越えて、変わること。ラストシーンで泣きじゃくる将也の姿は、苦しみぬいた自分自身を赦せることができた瞬間に訪れた魂の解放であると同時に、新しくこの世に生まれ変わった赤ん坊の産声でもあるわけです。



2.聴覚障害といじめは作品のテーマではない

「反復と相似、もしくは相違」・・・映画の中には繰り返しこのモチーフが登場していることにお気づきでしょうか(原作においては隣り合うコマや見開いたページ単位で意図的にシチュエーションが反復されていることが映画以上に顕著に描かれています)。

この作品はある状況が発生する前に予兆や前兆のように同じシチューションが先取りされて描かれることが多いという特徴があります。最初は予兆として、二度目は本番として。ただしその結果は相似か相違かという二つの方向に分岐します。

アバンにおける揖斐大橋での将也の死の夢想は、後の硝子の投身未遂という形で反復されます。また花火の打ち上がる音が将也を自殺の夢想から現実へ引き戻したのとは対照的に、硝子にあっては死への決断を促しています。水面へ飛び込む小学生時代の将也の「度胸試し」は、後の彼自身の転落の予兆ですし、橋から落ちた筆談帳を取りに水面に飛び込む硝子の手を掴めなかった将也は、硝子がベランダから落ちた時はその腕を掴むことで彼女の生命を救うことができました。将也が硝子のためにかつての仲間とコンタクトを取ろうとしたように、硝子もまた意識を失った将也のために壊れてしまった人間関係を回復させようと行動を起こします。

このように同じシチュエーションが何度か繰り返され、将也と硝子はまるで合わせ鏡のようにそっくりな行動を取ります。二人の「しょーちゃん」は互いの因果が影響し合っているかのような相似形として描かれているわけです(更に二人の家族に目を向けると、父親不在の女性だけの家族構成*4、将也の母と硝子の右耳の傷の相似等もありますが、これらについては後に述べます)。


しかし、これほど似た存在でありながら、実はこれほど遠い存在もありません。劇中の舞台として「養老天命反転地」が登場し、「極限で似るものの家」が描かれるのは物語上の必然です。それはまさに彼ら二人の置かれた状況そのものだからです。限りなく近づきつつ、しかし完全には一致することのない関係性。それは将也と硝子を表わすものであるとともに、この物語の核となる人と人との「コミュニケーションの在り方」を如実に示しています。

将也は硝子に言います。「君のことを都合よく解釈していた」と。聴覚障害というテーマを扱った作品ではありますが、これはあらゆる人間関係に共通する普遍的な課題です。伝えたいことを伝えることの困難性、他人を理解したような気になってしまう身勝手なエゴイズム、完全に分かり合うことの不可能性。これらは人と人とが関わり合う上で必ずついて回るいわば人間の本質=宿業と言えます。だからこそ、相手が何を言おうとしているのか、その「こえ」を限りなく(完全には不可能であっても)理解しようと真摯に心を砕いて「聴く」ことが求められるわけです。そうすることによって初めて本当の意味でのコミュニケーションが成立します。意思伝達と相互理解の持つ困難性の超克こそが、この作品の最も重要なテーマです。聴覚障害といじめという側面だけに目を向けてしまうと、作品の本質を見誤ることになるでしょう。



3.映画『聲の形』の映像言語 : フィルムの構造/記号/運動性

前述した映画全体を貫く「反復と相似/相違」という構造に加え、頻出する「橋」「水」「花」「十字架」といった象徴的な記号と、「飛び込み」「花火」「滝」「涙」「雨」「ジェットコースター」に代表される垂直方向への落下や下降、および「波紋」「鯉」「通学風景」「鉄道の車窓風景」「橋に集まる」などに見られる水平方向へ移動・拡散する映像の運動性は、いずれもこの映画を読み解く上で様々な示唆を与えてくれます。これらについては各場面で詳述します*5



4.天命を反転させるための装置 : 「養老天命反転地」

物語全体の主要なモチーフとなる「飛び込み」が冒頭から描かれていることからも分かるように、この物語には初めからずっと「死」の影が付きまとっています。

「養老天命反転地」で硝子は将也に言います。「私と一緒にいると不幸になる」と。お互いに関わりたいのに関わることによって不幸が波紋のように周囲へと広がってしまう。将也と硝子が共に背負ってしまった十字架は、寄り添いたいと思う二人を否応なく傷つけ、引き離していこうとします。その宿業を払拭し「再生」に至るためには将也と硝子の意識が変化するより他に道はありません。それは彼らに架せられた「天命」を「反転」させたときに初めて覆すことのできるものでした。

「養老天命反転地」がこの作品に登場する意味については原作探訪の第5巻の記事内で詳述しています。少し長くなりますが以下に引用します。

” 彼ら(荒川修作+マドリン・ギンズ)がこの作品群で目指した主要コンセプトは「身体に作用する環境=建築」であり、「身体感覚の変革により意識の変革」をもたらすことで「死を前提とした消極的な生き方を改め、古い常識を覆す」ことにあります。それゆえ、養老天命反転地には身体の平衡感覚や遠近感を著しく狂わせ、我々の知覚を激しく撹乱させるための様々な仕掛けが施されています。ここには垂直水平に立つ建築物はひとつもなく、さながら大震災の後の被災地の風景に迷い込むような異様な感覚に襲われて、人によっては眩暈や軽い吐き気を催すこともあります。歩くという基本動作でさえぎこちなくなり、自分自身の身体感覚がいつもより鋭敏になっていることに気づかされます。

まるで生まれたての赤ん坊が初めて広大な世界を前にした時のような知覚の再構築が行われるその時、養老天命反転地は人間に定められた天命を反転させるための、与えられた運命から自由になるための訓練を行う装置として機能するわけです。荒川+ギンズの狙いはまさにその一点にあります。”

「養老天命反転地」の中で最も重要なコンセプトを担う建築物の名前が「極限で似るものの家」であることをここであらためて想起しておくべきでしょう。すべては将也と硝子の二人を描く上で必然として選ばれた場所なのです。原作を読んだときに一番衝撃を受けたのはこの点でした。この辺りについては映画版の記事内でもあらためて触れる予定です。



5.生きるための練習曲 :"J.S.Bach: Invention No.1 C Dur, BWV 772"
この映画の音楽面での最大の仕掛けは「バッハのインベンション 第1番ハ長調」です。劇中での使われ方は前例のないほど異様なもので、ここに映画の隠しテーマとしての「練習」のモチーフが顕著に見て取れます。

バッハの音楽は右手で主旋律、左手で伴奏を弾くといったような類のものではなく、複数のメロディが同時に奏でられる「多声音楽(ポリフォニー)」と呼ばれるもので、ごく簡単に言うと右手と左手がそれぞれ独立したメロディーを奏でながら複数のメロディーが絡み合って楽曲全体を構成するというものです。2つのメロディー(二声)で構成されるものがインベンション(Inventio)、3つのメロディーで構成されるものがシンフォニア(Sinfonia)と呼ばれます*6これらは、より複雑で難易度の高い平均律クラヴィーアを弾きこなすための練習曲であると同時に、バッハの多声音楽(ポリフォニー)の曲想を構造的に理解するための入門編の音楽でもあるわけです。詳しくはこちらを参照されると良いでしょう。

全15曲あるバッハの「インベンション」の中でも「1番ハ長調」は最も初歩的な練習曲とされています。具体的には以下に紹介する動画をご覧ください。これは右手と左手の指の動き(音の配列)を視覚化しているので、楽譜の読めない人でもこの曲の楽曲構造を理解しやすい映像です。いかがでしょう。2つの独立したメロディーラインが追いつ追われつ絡み合うようにして楽曲の全体を構成していることがお分かりいただけるでしょうか。

J.S. Bach: Two-part Invention No. 1 in C Major BWV 772 piano (Synthesia)

右手のフレーズのあとを左手のフレーズが同じ動きで追い、時に左手が先行して今度は右手がそれに倣う。更には幾何学的と言ってもいいような対称的な動きを示し、2つのよく似た音列は近づきながら離れつつ互いに手を取り合って軽やかにダンスを踊っているかのようです。この2つのメロディーラインの反復と相似、あるいは相違を奏でる音の配列は、「極限で似るもの」である将也と硝子の2人の存在を表わしているようであり、かつ『聲の形』という物語のストーリーラインをも象徴しているように私には思えます。

さて、ここまでの説明で「インベンション 第1番ハ長調」が、映画『聲の形』で使われる理由やその必然性はお分かりいただけたかと思いますが、ではいったいどこで使用されているのか、初見ではまずほとんどの人が気づかないはずです(私も分かりませんでした)。結論を先に言う、本来は1分20秒ほどの長さしかないバッハの「インベンション 第1番ハ長調」は、この映画の中では元の音列をバラバラに分断し、まるで点描のようにポツンポツンと極端なまでに音数を減らして演奏されているのです。その音が最初に登場するのは、映画のオープニングが終わり、硝子がランドセルを持って教室に入ってくるシーンです(将也の「はあ?興味ねーし」の台詞のあと)。このピアノの音が「インベンション 第1番ハ長調」の音列なのです。

断片化された「インベンション」の音の欠片は、その後に続く各場面でも点々と断続的に現われ、最後に高校の文化祭で将也と硝子が校門をくぐる場面でようやく曲が終わるという構成です。この文化祭の直前の場面で初めて「インベンション」のメロディーらしいメロディーを聴くことができます。ただしこれも音符通りではなく、音の断片を拾いながらゆっくりスピードを落として演奏されています*7

より高度な楽曲を弾きこなすための練習曲が、映画の最初から最後まで(それとは気づかない形で)ずっと通奏低音のように流れていることは、この物語が将也にとって「生きるための練習」であり、「より多彩で豊穣な世界を知るためのレッスン」であることを示唆しています。そしてこの曲は、将也と硝子が高校の門をくぐるところで終わります。つまりこの段階で練習は終わり、生まれ変わった将也の新たな人生の本番がここから始まるわけです。

話が長くなりすぎました。以後の【考察メモ】は各場面ごとの気づきや備忘録を順次記していくことにして、ここから先は作品舞台の紹介記事に入ります。

 

*1:2016年10月22日時点で18回鑑賞しているので、それほど的外れの写真にはなっていないはずです。

*2:2016年10月8日~10日にかけて大垣・養老・岐阜を再取材しました。

*3:TVシリーズというステップボードなしのいきなりの映画化は、山田尚子監督のみならず京都アニメーションにとっても初の試みであり、確固たる人気原作であるとはいえ、TVシリーズという固定客がいない状況での映画化は大きな賭けだったはずです。これが3本目の映画となる山田尚子監督の「映画監督」としての真価を問われる勝負作でしたが、それは見事な結果となって返ってきました。2016/9/17(土)に公開された映画『聲の形』は10/23(日)までの累計で動員146万4305人、興収19億1345万1500円となり、『映画けいおん!』の持っていた19.0億の興行収入記録を抜いて、ついに京都アニメーション史上最大のヒット映画となりました。『映画けいおん!』は2011/12/3(土)の公開後、3月末まで4ヶ月近いロングランを続けた後も、全国各地で新たに上映を開始する劇場が後を絶たず、7月のイオンシネマ久御山での上映を最後に約7ヶ月におよぶ長期間の上映となりました。その上での19億円なので、その記録をわずか1ヶ月弱で塗り替えてしまった映画『聲の形』の勢いがいかに凄いかよく分かります。

*4:将也の姉の夫、ブラジル人のペドロが将也を除く唯一の男性ですが、彼は本編中は本国に帰っていて不在です。

*5:垂直方向への落下や下降のモチーフについては原作版の探訪記事内の随所で触れていますので、関心のある方は参照してください。映画版ではこれに連動する形で水平方向への拡散・移動のイメージが追加されたことで、より立体的で強靭な映像表現を獲得しています。

*6:シンフォニアは別名「3声のインベンション」と呼ばれることもあります。

*7:牛尾憲輔さんが手掛けたサントラCDにこれらの楽曲は収録されています。タイトルはすべて「Inv」(インベンションの略称)で全部で10曲。アップライトピアノの中にマイクを突っ込んで録ったという、深海の底で揺らめくような、あるいは頭の中に鳴り渡るような深い響きは、美しい音響彫刻のようでありながら、一方でどこかいびつな美しさを持っていて、さながら「ピアノの内臓」を見ているかのようです。

続きを読む

【舞台探訪】『聲の形』(原作):第7巻

舞台探訪: 聲の形

【注意!】当記事では原作の内容の詳細について触れることになります。原作未読の方でネタばれを避けたい方はここから先へは進まないでください。

大今良時さんの漫画『聲の形』の舞台探訪の記事、最終巻となる第7巻の紹介です。

聲の形(7)<完> (講談社コミックス)

聲の形(7)<完> (講談社コミックス)

 

→前回までの記事はこちらです。
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第1巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第2巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第3巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第4巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第5巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第6巻

■第7巻について
硝子の慟哭に呼び覚まされるかのように長い眠りから目を覚ました将也。そして彼もまた導かれるようにあの橋へ・・・。『聲の形』全編のクライマックスです。

物語は佳境を迎え、やがて将也と硝子、そして仲間たちの進路と卒業、翌年の成人式の場面で終幕となります。


■舞台探訪 『聲の形』(原作):第7巻
※各シーンの場所情報はGoogle Mapにまとめてあります。各々の場所を確認されたい方は、当記事末尾に掲載しているMAPを拡大してご覧下さい。

■表紙絵 
第2巻の解説でも書きましたが、『聲の形』の表紙絵は各巻を象徴する場所を背景として左側に将也、右側に硝子の立ち姿が描かれ*1、二人の他には誰も描かれていません。
f:id:los_endos:20160913185610p:plain
そして第7巻の裏表紙で初めて、結絃、永束、植野、佐原、川井、真柴たちの姿が描かれることになります。「みんなのことをもっと知りたい」と将也の意識に変化が訪れたことを物語る印象的なカットです。

扉絵
養老鉄道車内
これは養老鉄道の車両内です。将也と硝子が養老公園へ遊びに行った日の光景でないことは、二人の衣服を見れば一目でわかります。f:id:los_endos:20160913194139p:plain
それにしてもこのイラストの静かな迫力には目を見張ります。まるでこの世ならざる場所への逃避行のようです。お互いの姿が見えていないかのように決して視線を交えることのない将也と硝子。こんなにも似ているのに、こんなにも近くにいるのに、見ている視線の方向はバラバラで、手を伸ばせば触れることもできる距離にいるのに虚脱したように無関心な様子は、お互いの心が大きくすれ違ってしまったあの日の心象風景なのかもしれません。真っ白に漂白された二人の姿は幽界の住人であるかのようです。f:id:los_endos:20160913194452p:plain
(上)表紙絵の左上に描かれている換気扇も実際にありました。

P.14 1コマ目
美登鯉橋 MAP 03f:id:los_endos:20160913205517p:plain

*1:第6巻のみ例外。これについては第6巻の記事を参照してください。

続きを読む

【舞台探訪】『聲の形』(原作):第6巻

舞台探訪: 聲の形

【注意!】当記事では原作の内容の詳細について触れることになります。原作未読の方でネタばれを避けたい方はここから先へは進まないでください。

大今良時さんの漫画『聲の形』の舞台探訪の記事、今回は第6巻の紹介です。 

聲の形(6) (講談社コミックス)

聲の形(6) (講談社コミックス)

 

→前回までの記事はこちらです。
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第1巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第2巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第3巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第4巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第5巻
→本稿以降の記事はこちらです。
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第7巻

■第6巻について
「私と一緒にいると不幸になる・・・」。その言葉に抗うかのように、硝子の前では笑顔で振る舞う将也。その姿を見るごとに募っていく硝子の苦悩。そんな硝子が選んだ決断は自分がこの世からいなくなってしまうことでした。転落する硝子の腕を命がけで掴む将也の脳裏をかすめる様々な想い。二人が出会っていなければこんなことにはならなかったのか。これは運命なのか。小学生時代の因果にどこまでも呪縛される二人。そして硝子の身代わりのように落下していく将也。果たして二人の未来は・・・。

第6巻は将也が意識を失っていることで物語の語り手が不在となります。そのため、この巻では登場人物ひとりひとりの内面に章が割り当てられ、彼もしくは彼女たちの独白が続きます。その「心のこえ」を語らせる構成が見事です。そして各章の語り手にそっと黒い天使のように近づき、まるで触媒のようにその心に変化を与えていく硝子。将也の不在を巡る巨大な空洞の周囲で登場人物たちの心の有り方が変わっていきます。

 

■舞台探訪 『聲の形』(原作):第6巻
※各シーンの場所情報はGoogle Mapにまとめてあります。各々の場所を確認されたい方は、当記事末尾に掲載しているMAPを拡大してご覧下さい。

表紙絵
美登鯉橋 MAP 03
f:id:los_endos:20160910120037j:plain
第2巻の表紙絵の解説で書いた文章を再掲します。

『聲の形』のコミックスの表紙絵は、毎回、その巻を象徴する場所を背景として左に将也、右に硝子の立ち姿が描かれています。将也の目線は一定ではありませんが、硝子は必ずこちら(本を手に取った私たち)を見ています。例外は第6巻で、この巻のみ将也の姿はなく、硝子がただ一人虚ろな表情で水底を眺めています。

第6巻では物語の語り手である将也がマンションの階上から落下して意識を消失しているため、この巻では実質的に不在となります。そのため、表紙絵からも彼の姿が「消えている」訳です。水底から透かして見たようにゆらゆらと揺らめき歪んだ美登鯉橋と四季の広場。ぼんやりと虚ろな目線でひとり佇む硝子*1の足下は水中に沈んでおり、彼女自身も揺らめく幻影のようです*2。将也の不在を前に登場人物の誰もが意識の奥底で揺らめく「心のこえ」と向き合うことになる第6巻の表紙絵は、これ以上ないほどの象徴性をもって本巻の本質を描き出しています。

*1:その視線の先は、画面左側にいるはずの不在の将也を見つめているかのようです。

*2:『聲の形』の原作はカバーをはがした書籍本体の表紙にモノクロの原画が描かれています。第6巻の本体表紙を見ると、カバーに描かれた絵の歪みや揺らめきが原画時点のものではなくエフェクトをかけられたものであることがわかります。

続きを読む

【舞台探訪】『聲の形』(原作):第5巻

舞台探訪: 聲の形

【注意!】当記事では原作の内容の詳細について触れることになります。原作未読の方でネタばれを避けたい方はここから先へは進まないでください。

大今良時さんの漫画『聲の形』の舞台探訪の記事、今回は第5巻の紹介です。 

聲の形(5) (講談社コミックス)

聲の形(5) (講談社コミックス)

 

→前回までの記事はこちらです。
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第1巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第2巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第3巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第4巻
→本稿以降の記事はこちらです。
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第6巻
・【舞台探訪】『聲の形』(原作):第7巻

■第5巻について
永束の発案で始まった夏休みの映画作りを通じて、周囲の仲間たちとの関係が次第に良好になっていくように感じていた将也。紆余曲折はあったものの仲間の想いがひとつになっていく。「ずっとこの輪の中にいたい」。将也はようやくそんな幸福な気分を味わえるようになっていました。しかし、ふとしたはずみに彼の心に芽生えた疑心暗鬼は抑えようのないほどに膨れ上がり、ついに暴発して仲間を傷つけてしまうことに・・・。そしてそのことは硝子をも追い詰め、やがてひとつの事件へと彼らを導いていくことになります。


■舞台探訪 『聲の形』(原作):第5巻
※各シーンの場所情報はGoogle Mapにまとめてあります。各々の場所を確認されたい方は、当記事末尾に掲載しているMAPを拡大してご覧下さい。

表紙絵
揖斐川河畔(仮) MAP 52f:id:los_endos:20160820200428p:plain
いきなり難題です。大垣市では毎年7月下旬の土曜日に揖斐川河畔で「大垣花火大会」が開催されます。ちょうど節目となる第60回記念大会にあたる今年2016年の開催日は7月30日(土)。うまくタイミングが合ったので、この花火大会を取材することができました。そこで表紙絵、および作中に描かれている風景の痕跡はないかと周辺を探索したのですが・・・残念ながら特定に至るだけの証拠を発見することはできませんでした。むしろこれは本当に揖斐川なのだろうか?と疑いばかり湧き起こってくる始末です。
f:id:los_endos:20160820220450p:plainf:id:los_endos:20160820220458p:plain
(左)【第60回記念】大垣花火大会のポスター。
(右)JR大垣駅の西美濃観光案内所でいただいた会場MAP。


そもそも河川敷で花火の観覧スペースとして用意されている場所の周辺に、この絵のような屋台が立ち並んでいる場所はありません。屋台があるのは観覧スペースから少し北側、上図(右)でいうと打上場の真西あたり、ちょうど点線の丸印の辺りです。ここは揖斐川西岸の道路を歩行者天国として開放している路上ですが、この場所から河川敷に降りることはできませんし、土手に座って花火を見るということもできません(打上場が間近で立入禁止の危険区域だからです。)*1f:id:los_endos:20160820204451j:plain
(上)揖斐川河川敷の観覧スペース。土手の上の道路上に屋台は一軒もない。
(下)観覧スペースの100mほど北、打上場の真西あたりの路上に立ち並ぶ屋台(北→南向きの写真)。

*1:ちなみに花火大会中、17:00~19:30まで車両通行禁止となるのは、岐大バイパスの新揖斐川橋、南側の揖斐大橋、それと両方の橋に挟まれた川の東西岸の道路です。これらは歩行者天国として開放されますが、打上場近辺の東西岸の土手から川までのエリアは、当日の朝9:00から翌朝7:00まで関係者以外の立入は禁止されます。

続きを読む