【感想】宮﨑駿監督『君たちはどう生きるか』(ネタバレあり)

 宮﨑駿監督の『君たちはどう生きるか』の公開から1週間が経った。そろそろ踏み込んだ感想を書いてみようとTwitterで連ツイ用のドラフトを用意したものの、周知の通り、スタジオジブリおよび東宝の「宣伝なし」「広告なし」の戦略は今も続いており、内容について迂闊なことを呟けばどうしたってネタバレになりかねない。つまり書きたい感想をTwitterで呟くのは至難である(本日時点でもパンフレットの発売は未定となっている)。


 自分の頭に湧き起こった想念を書き留めて、どこかにいるであろう同好の士がいずれ見かけることでもあればラッキーくらいの気持ちでSNSに放流するのが私のTwitterの流儀であるが、そもそも公式が世間に喧伝することを封じているような状態では感想を書き残すことも躊躇われる。

 色々検討した結果、書き溜めた文章の「画像」を「センシティブな内容」としてTwitterに投稿し、Tweetを見る人の判断で表示/非表示を選択してもらうという方法を考えたが、うっかり設定のミスや想定外の事態(Twitterの突然の仕様変更など)があった時のリスクヘッジが取れないので、やはり本流に戻ってブログへ掲載することにした。

 140文字で区切る必要がなくなったことから、元のドラフトの文章を全体的にまとめ直して大きく加筆・修正した。最初に書き殴った時のスピード感はそのまま活かすようにして、短文で区切る小気味良いリズムもできるだけ残すようにしている。初回の鑑賞後、1週間経過時点での感想はほぼ言い尽くしたと思う。妄想成分多めのまとまりのない駄文であるが、ご笑覧いただければ幸いである。

 



 宮﨑駿監督の『君たちはどう生きるか』を観た第一印象は、極度に閉じたインナースペースで綺想が爆発している異形の怪作というものだった。首尾一貫する物語性も明確なメッセージ性も万人に向けた分かりやすい説明もかなぐり捨て、奔放に溢れ出す内的世界に身を委ねる愉悦に嬉々としているように見える。なんと自由なのかと思った。

 分かりやすさと分かりにくさが未分化のままで同居しているように感じられるのも、いちいち小賢しい理屈や説明をつけず、ただ映像の奔流で語らせることに終始しているからだろう。作品が「分かる」ことにそれほどの価値はないし、むしろ分からないからこそ限りなく好奇心を触発される。そこには探求しても終わりのない永遠なる未知の領域が広がっている。そうしたものこそ開かれた作品であり、後述する『銀河鉄道の夜』や『不思議の国のアリス』などはその好例である。これらの作品を「分かる」人がどれだけいるというのだろう。「分かる」ことは作品の評価や価値とは無関係である。

 とはいえ、『君たちはどう生きるか』には作品を読み解くためのアクセス・ポイントが幾つかある。

 1つ目のポイントは「鳥」である。おびただしいほどの極彩色の鳥がスクリーンを舞う。しかしそれらはいずれも美しく愛すべき存在ではなく、糞便を撒き散らし平穏を脅かすおぞましくグロテスクなイメージに満ちた「鳥」だ。潜在意識下において「鳥」は、境界を易々と突き抜け、時には禁忌をも侵犯する表象となる。自由であると同時に安定を突き動かし、安心の土台を揺さぶるトリックスター。まるでこの作品そのものではないか。

 中でもキービジュアルとして登場するアオサギは、『ファウスト』のメフィストフェレスのように主人公の少年を異界へ誘い出す。アオサギの手引きで少年は様々な世界を行き来し、そこで新たな人々や出来事と出会い、通過儀礼を経て、少しずつ大人へと成長してゆく。そういう意味でこの作品は、表面的な奔放さや精神分析的な難解さとは裏腹に正統的なジュブナイル作品としても成立している*1

 2つ目のポイントは「死」である。この作品では「死」が明確に描かれる。冒頭からいきなり母の死が描かれる訳だが、作品全体に通底するのは、『もののけ姫』のような生のリアリティを際立たせるために対置される死ではなく、むしろ絶対的な無の領域としての冷ややかな死者の世界だ。すでに『風立ちぬ』で表出していた気配であるが、本作ではそれが濃密に前景化している。

 その印象もあって、個人的には『銀河鉄道の夜』を思い出す瞬間が何度もあった。あるいは『不思議の国のアリス』。ナツコの救出のくだりは、イザナギとイザナミ、オルフェウスとエウリディケの死と生を往還する冥界下り/現世回帰の神話的イメージが重なる。フェリーニの『8 1/2』の映像的記憶もうっすらと反響しているように思えてくる。主要キャストの少年は宮﨑駿、アオサギは鈴木敏夫、大伯父は高畑勲の3人の見立てであると捉えることもできる(少年は大伯父から何を受け継ぎ、何を拒絶したか)。

 そして3つ目にして最大のポイントは「母」の存在である。軍需産業の活況で裕福な家に不自由なく育った主人公の少年は間違いなく宮﨑駿の自画像だ。そして少年の亡き母親のドッペルゲンガーのようなナツコは監督の実母の投影だろう。そう考えると、なぜ映画の時代背景が、吉野源三郎の小説「君たちはどう生きるか」が書かれた1937年(昭和12年)という日中戦争の始まった年ではなく、その少し後の時期であるのか、(あくまで想像でしかないが)朧げながら理解されてくる*2

 これまでの作中でもしばしば母の不在/喪失を描いてきた宮﨑駿は、老齢に至って自身のルーツに立ち帰り、自らの来し方、とりわけ母との関係性をあらためて見つめ直そうとしたのではないか。そして病弱だったという実母への監督自身の思慕とそこから遠ざけられる葛藤や確執というアンビバレンツに対して、自己セラピーのように作品を通してひとつの決着をつけようとしたのではないか。私にはそう思える。

 ちなみに本作から宮崎駿の「崎」の一文字が「﨑」へと変わっていることにお気づきだろうか。考えすぎだと一笑に付されそうだが、私はここに監督の思いが込められているような気がしてならない。この作品がこれまでの作品とは性質の違うものであることを監督自身が宣言しているようにも見える*3。そして自身にとって今度こそ最後になると思われるこの長編映画が、キャリアのひとつの区切りとなるだけでなく、監督自身のこれまでの人生のわだかまりや拘りをも打ち破るものであったとしたら、そこにやはりクリエイターの業(ごう)を感じずにはいられない。人間が作品を作るだけでなく、作品が人間を作り変え、然るべき方向へ導いてゆく。


 誰の指図も干渉も受けず、宮﨑駿にひとりの人間として描きたいことを描きたいように描かせ、やりたいことをやりたい放題やらせる。そのために巨額の広告宣伝費をすべて製作費に回し、製作委員会形式を取らずジブリ単体で興収の責務を負い、採算を度外視できる体制を整えた。Twitterでも指摘されていた通り、これは宮﨑駿の壮大な自主制作映画と言えるのかもしれない。初見時のTweetで私は「情報秘匿で始まったこの奇策が長期間に渡って効果を発揮するとは思えない。(中略)この作品にとってあまりにもったいない」と書いたが、最初から採算を主目的としない自主制作なら、確かにこの方法もありなのかもしれないと今は思う。もちろん宮﨑駿のネームバリューあっての奇策であるが。

 しかしながら、この作品は7/14(金)の公開から17(月)までのたった4日間で、興収21億4,931万円という記録を叩き出した。『千と千尋の神隠し』の初動4日間興収を上回る大ヒット、『風立ちぬ』の初動150%のロケット・スタートだそうだ。「宣伝なし」は最大の宣伝効果を生んだ。あるいは宮﨑駿の神通力はまだまだ健在だったと見るべきか。

 本作にはスタッフもキャストも、これ以上は望むべくもないスーパースター級の人々が一堂に会している。EDクレジットは壮観としか言いようがない。鈴木プロデューサーが用意した勇退の花道がこれだと思うと感慨深いし、一方で宮﨑駿は最後に自身のアーティスト・エゴを思いのままフィルムにぶちまけてみせた。こんな鋭い刃をまだ懐に潜ませていたのかと衝撃を受けた。

 初めて観た日からすでに1週間が経過したというのに、いまだに幾つかの場面が脳裏にフラッシュバックし、それを反芻している自分がいる。こんな風に潜在意識を触発してくる肌触りは、個人的にはこれまでの宮﨑作品で経験したことがない。こんなザワザワした気分が後を引くことなどかつてなかった。

 ビジュアルのアイデアはこれまでの作品からの使い回しと思われる部分が確かにあるし、その点に物足りなさや才能の枯渇を指摘する意見もある。しかし私には、そうであってもなお、今までの作品とは受ける印象が明らかに異なっているように感じられるのだ。まるで全編が主人公の少年の見た夢であり、私たちは作品の中に何ひとつ確かな現実感を抱けないまま、その夢を延々と見せられていたような気分に陥る。その狂った悪夢から醒めた後もまだ夢の中にいるような心地が続いている*4

 初見時は、宮﨑駿の最高傑作かといえば多分そうではないし、そんなつもりで作ってもいないだろうと思った。しかし今はその評価が少し変わってきている。これは宮﨑駿というクリエイター個人の枠組みをも超えてしまった、人間の普遍的な何か*5にまで触れてしまった、とんでもない作品なのかもしれない。作品を観ることで、その領域に触れてしまったからこそ、今も私は熱病の縁にいるような気分が続いているのだろう。この熱が醒めた頃にもう一度観て、初見で感じた様々な思いをあらためて確認してみようと思っている。


2023年7月21日 記

*1:構造的には『千と千尋の神隠し』に似ていると思う。

*2:映画『君たちはどう生きるか』は、同名の小説とは全く異なる内容のオリジナル作品である。映画の中では、主人公の少年が小説「君たちはどう生きるか」を読んで涙するというシーンがある。なお、宮﨑駿監督は1941年(昭和16年)の生まれなので、劇中の少年の年齢とは一致しない。

*3:もっとも、以前から監督がご自身の名字を記す際に、状況に応じて「﨑」の字を使っていることは多々確認されているので、これをもってただちに「新生 宮﨑駿」の誕生などと言うつもりはない。ただイラストや原稿への気軽なサインや、スタッフの一人としてのクレジットにおける恣意的な使い分けではなく、作品の監督名として公式に記載し、表看板として後世に残す以上、そこには何らかの自己主張と明確な意思が働いていることは間違いないと思う。

*4:この感覚は、もしかしたら漫画版の『風の谷のナウシカ』全巻を読み終えた直後の印象に一番近いのかもしれない。

*5:あえて言うなら神話性であり、あるいは深層心理やユング的な元型と呼んでも良い。

【記事紹介】STARBURST MAGAZINEによる山田尚子監督へのインタビュー(2022/10/30)

 さる10月21日から30日までイギリスのスコットランド(グラスゴー、エディンバラ)で開催された日本のアニメーション作品の映画祭Scotland Loves Animation 2022において、山田尚子監督の新作『Garden of Remembrance』がワールドプレミア上映された。この映画祭に招聘されていた監督は、同時期にイギリスの雑誌メディアSTARBURST MAGAZINEのインタビューを受けている。その記事が公開されたので、以下に紹介しておきたい。
 STARBURST MAGAZINEはイギリスのマンチェスターに拠点を置くStarburst Magazine Limitedが発行する各種エンターテインメントのニュース、インタビュー、特集、レビュー等を掲載している老舗の雑誌である。創刊は1977年。現在は主にWebマガジンとしてニュースやレビューを毎日リリースしており、紙媒体の誌面も年4回刊行されているらしい。
Starburst (magazine) - Wikipedia

 山田尚子監督へのインタビューは、ワールドプレミアの上映日である現地時間2022年10月28日(金)の数日前、その週の前半にロンドンでおこなわれた。

 インタビューは30分程度だったそうだが、新作『Garden of Remembrance』が生まれた経緯、それを作ろうと思った動機、これまでの作品との制作プロセスの違い、サイエンスSARUとの仕事について、アニメーションというメディアの特性や表現形式の重要性についてどう思うか、なぜ監督はアニメーションの道を選んだのか、ご自身の作品のスタイルはどのように形作られたのか…など、日本のアニメーション雑誌やWeb記事が質問することのないような部分にまで踏み込んでおり、非常に興味深い発言を監督から引き出している。

 全文を日本語に訳して掲載したいところではあるが、著作者の許可を得ずに掲載することは著作権に含まれる翻訳権に抵触することになるので、あくまで引用の範囲内での紹介に留める。今はWebのページを丸ごと機械翻訳できる時代なので、日本語で読みたい方はそちらをご利用いただきたい。

 ただしその場合、山田尚子監督の発言を通訳が英訳した言葉を、今度は更に日本語へ(それもAIが)訳し直すという二重の翻訳過程を経ることになるので、おそらく元の発言の微妙なニュアンスはかなり失われている可能性があるという点には注意が必要だろう。私が引用する箇所は、多少の意訳も加えて、できるだけ自然な日本語になるよう補足しているが、なにしろ監督の元の発言を知ることができないので、英語の原文がどこまで元のニュアンスを正確に汲み上げているのかは確認しようがない。その辺りもご留意いただければと思う。

 以下は同インタビュー記事の感想とコメントである。山田尚子監督の発言箇所は青字の斜体に統一しておいた。なお、『Garden of Remembrance』のワールドプレミア上映の様子については、当ブログの前回の記事の最終章で軽く触れているので、合わせて参照いただきたい。


新作を手がけた動機について
 まず、新作『Garden of Remembrance』のアイデアについて「人生の終わりという出来事を自分はどう受け止めるか、周りの人がどう影響を受けているかについて考えたことから生まれました」とある。前記事でも触れた通り、作品のタイトル自体がはらむ”死”のイメージに監督が真正面から対峙していることが分かる。今後も決してご自身から語るようなことはないと思うが、やはり2019年7月の事件以降、決定的に変わってしまった何かを感じざるを得ない。それは『平家物語』に一貫して流れていた、亡き者たちが確かに生きていた証としての命の輝きをフィルムに刻みたいという想いと同質のものだ。作品制作を通じてのグリーフワークは今も続いていると思えてしまうのは穿ちすぎだろうか。


”to push myself as a creator”
 私の目を一番引いたのは次の発言である。

 「プロデューサーのチェ・ウニョンさんからこの短編のお話をいただいたとき、クリエイターとして自分を押し出すためのリソースを与えていただけると思い、このチャンスに飛びつきました」

 山田尚子監督は、いつも与えられた題材に対して、その世界観やキャラクターに一番合った演出を考えてきた人だ。他人の作品を借りて自分を表現するのではなく、その作品がどう表現されたがっているかを汲み上げ、徹底的に考え、それを形にしてきた人だと思う。そこにはアーティスト・エゴを振りかざすこととは対極の、元の作品に対する深いリスペクトと職人的で真摯な創作姿勢がある。しかしここでは、はっきり「クリエイターとして自分を押し出す」(原文:”to push myself as a creator”)と明言しており、これは今までの作品制作の姿勢とは一線を画していることが窺える*1

 前回の記事の最終章で、私は「15分の短編はこれまで山田監督が手がけてきた商業作品とは明らかに性質の違うものだ。インディペンデントのアニメーション作家の作品のような、あるいは名の知れた商業映画の監督が自分自身のアーティスト・エゴを叶えるために撮った実験映像のフィルムのような、そんな作品を想像してしまう。いよいよ本当の意味で山田尚子というクリエイターがその作家性を明らかにする機会がやって来たのではないかと思う」と書いた。

 もしかすると山田尚子監督は、自分自身のアーティスト・エゴをむき出しにできる場所、「商業性」を度外視した「作家性」の高い創作活動に取り組むことのできる機会をこれまでずっと待っていたのではないだろうか。それがようやく『Garden of Remembrance』で実現したのだとすれば、この作品が成功し、評価された暁には、山田監督の今後の創作活動に新たな道が開かれることになるだろうと思う。前記事で私は「監督のキャリアの中で後になって幾度も参照される重要なマイルストーンになるような予感がする」と書いているが、このインタビューを読んだ今は半ば本気で確信している。


なぜアニメーションの道を選んだのか
 ここも重要な発言なので、少し長いが拙訳を載せておく。

 「元々、この道へ進むことになった当初は、アニメーションの仕事でなくてもよかったのですが、ビジュアル・アートや動く映像を伴った物語を作ることにはずっと興味を持っていました。芸大に通っていたので絵を描きたいという気持ちもありました。その時点では自分がどのような道に進みたいのか明確ではありませんでしたが、チェコのアニメーション作家、ヤン・シュヴァンクマイエルの作品を見て、実写とアニメーションが見事に融合していることに深く感動しました。それはこのアートの形式で何が出来るのかということを私にはっきりと教えてくれたのです」

 私の知る限り、山田尚子監督がここまで率直にアニメーションの道を選んだ理由や、その来歴について語ったコメントはこれまで目にした記憶がない*2。それもそのはずで、通常、雑誌を中心とする日本のアニメーション・メディアは「作品」に焦点を当てることが多く、「監督」自身のパーソナリティを深掘りする機会はあまりないし、そもそもその需要も少ないからだ。あるとすれば、先日、湯浅政明監督を特集した「ユリイカ」などのように、山田尚子監督の活動を包括的に取り上げた評論集やムック本の登場を待つより他にないだろう。そういった意味で、ごくわずかなボリュームではあるが、このインタビュー記事の持つ価値はとても大きいと言わざるを得ない。

 生粋のアニメ好きが憧れのアニメ業界に入ってきたという感じではなく、芸術家の卵だった学生時代の山田さんがヤン・シュヴァンクマイエルのアニメーションと出会ったことで、その表現の持つ可能性に目を見開かされて、それを自らの表現のツールとして選んだという印象が強い。シュヴァンクマイエルの作品は、本来動くはずのないものが生命を持って動き回るという原初的な驚きと視覚の悦楽を観る者に与えてくれるという点で、アニメーションの語源(=動かないものに命を与えて動かす)そのものを体現したものである。それらの作品に多大な影響を受けた山田尚子監督が、自らの原点に立ち返って、初めて一人の映像作家として創り上げたのが『Garden of Remembrance』なのかもしれない。

(補記)
本稿公開後、監督の母校である京都芸術大学(在学中は京都造形芸術大学)が発行する広報誌/Webマガジン「瓜生通信」に、卒業生からのメッセージとして、山田監督がご自身の就職活動時のエピソードについて語っているインタビュー記事を発見した(2022年2月14日付)。やはりここでも、アニメーション制作の道を選んだ直接的なきっかけがヤン・シュヴァンクマイエルとの出会いだったことに言及されている。ロンドンでのインタビューの回答と重複する部分もあるが、アニメーション業界を目指している学生や若い世代に向けてのメッセージなど、ここでしか読めない発言もあるのでファン必読の内容かと思う。「私自身は、時代の変化にとらわれすぎず、根を下ろして、ずっと残る普遍的なものを作っていきたいという想いがあります」という言葉は、山田尚子監督の新たな決意表明のように思える。

 なお、山田監督のシュヴァンクマイエルへの傾倒ぶりは、かつて京都アニメーションのイベント(2015年10月31日)でもご本人の口から語られており、チェコのプラハにあるシュヴァンクマイエルのアトリエ(兼ギャラリー)を訪ねたら開いていなくて、ずっと立ち尽くしていたら近所の人に不審者扱いされたというエピソードを紹介されている。こちらに当日のステージ・トークの記録を書き残しているので、興味のある方はお読みいただきたい。

作品のスタイルについて
 山田監督の現在の作品のスタイル(作風)はどのように確立されたのか?という質問に対して、「監督になった時からスタイルを確立したかったのは確かですが、それは自然に起こったことでもあり、最初からそれを推し進めていたわけではありません」と答えている。「山田尚子節」というか「山田尚子調」とでも呼ぶべき作風や演出、作品に流れる空気感は、特に意図してのものではなく、これまでのキャリアの中で自然に培われてきたというニュアンスだろう。

 このままだと結局、全文引用してしまいかねないので、最後にあと1点だけ触れて本稿を終えることにする。

ロンドン/イギリスの印象
 「今回のロンドンとイギリス滞在はあなたにとってどのようなものでしたか?」という質問には、「エレクトロニック、ニューウェイヴ、パンクなど、この地を発祥とする音楽の長年のファンなので、私はずっとロンドンが大好きです」(原文:”I’ve always loved London as a city as I have been a fan of lots of music that originated here – including Electronic, New Wave and Punk. ”)と、一番に音楽への愛を語っているのが、いかにも山田さんらしい。

 ここで紹介した内容以外にもまだまだ興味深い発言が掲載されている。ここから先はぜひ原文をお読みいただきたい。


2022年11月3日 記

*1:『Garden of Remembrance』の公式サイトには「監督・脚本 山田尚子」とクレジットされている。山田さんがご自身で脚本を書くのはこれが初めてのことであるが、台詞のない作品らしいので、この場合の「脚本」はストーリーの展開そのものと言って良いだろう。物語の筋書きに至るまですべてを山田さんがコントロールしている初の作品ということになると思う。

*2:本稿執筆後に、比較的同様の内容について既に言及されている「瓜生通信」2022年2月14日付のインタビュー記事を発見した。詳細は下記の(補記)を参照いただきたい。

【感想】山田尚子監督『彼が奏でるふたりの調べ』〜心の引き出しを開く音楽の力

 amazon prime videoのシリーズ企画ドラマ「モダンラブ・東京〜さまざまな愛の形〜」の第7話、山田尚子監督の『彼が奏でるふたりの調べ 』が2022年10月21日(金)から配信で公開されている。これは海外の連作ドラマシリーズ「モダンラブ」の舞台を東京に移した日本版で、荻上直子監督、山下敦弘監督、黒沢清監督など錚々たる映画監督が各話の制作を担当していることが話題になった。そして日本版だけのオリジナル企画として、日本の映像表現として今や欠かすことのできないアニメーションで1本制作することになり、そこで白羽の矢が立ったのが山田尚子監督だった。


 興味深いのは、2022年3月30日の制作発表時においては、まだ山田尚子監督の名前がないことであり、一方、この時点ですでに全7話の構成が明らかになっていたことだ。
 そして7月27日の続報で初めて山田監督がアニメーション作品で参加することが発表された。3月時点では第7話のスタッフもキャストも未確定(か、もしくはオープンにできなかった状況)で、その後、体制が固まり、7月27日の時点では完成していたと見るべきだろう。

 山田尚子監督のフィルモグラフィーとしては、『平家物語』の後、キットカットのCM制作(現時点では2月と10月にそれぞれ春と秋の2ヴァージョンが公開されている)とほぼ同時期、6月のアヌシー映画祭で予告された『Garden of Remembrance』(2023年公開予定)の前の作品ということになる。おそらくキットカットのCMと『彼と奏でるふたりの調べ』とされていたのではないかと思う。

 特に『彼と奏でるふたりの調べ』は唐突に制作が発表され、『Garden of Remembrance』は比較的近い時期か、あるいはほとんど同時並行で制作公開まで日が浅かったこともあり、当初は制作会社もスタッフもまったく情報がなかったが、脚本はいつもの吉田玲子さんではなく、荻上直子監督*1が務め、制作会社は山田監督がキットカットのCMを監督した時のアンサー・スタジオが手がけること、またメインキャストが俳優の黒木華、窪田正孝であることまでは分かってきた。しかし、その他のキャラクターデザイン、作画監督、音楽などのスタッフについては全く未知のままで公開当日を迎えることになった。

 以下の文章は、公開翌日の10月22日(土)にTwitterへ投稿した文章をベースとしたもので、140文字の制限内では表現しきれなかった箇所を大幅に増補改訂している。また「モダンラブ・東京」が独占配信されているamazon prime videoは基本的に会員専用のサービスであること、あるいは後述するように、劇中で主人公の心の引き出しを開くことになる実際の楽曲の名前を一連のTweetで明らかにしてしまうと、これから観ようとしている人への重大なネタバレになると判断したこと…等の理由で公開を差し控えた情報が幾つかある。本稿ではそれらをすべて復活させている。従って作品を鑑賞済みという前提で記述するので、未見の方はprime videoで鑑賞の上でお読みいただきたい。


概要

「モダンラブ・東京」シーズン1の第7話『彼が奏でるふたりの調べ』のamazonによる紹介文。

 あらすじは上掲の画像に記載の通りであり、実はこれで物語のほとんど全部だ。あとは「その後、二人は再会する」と書けば完結してしまう。30分という短編の制約上、登場人物も物語もミニマムに絞っている。物語の筋を追うよりも、むしろその細部に描かれた表現にこそ注視すべきだろう。そういった意味で山田尚子監督の演出力が作品の成否を決める重要なポイントとなる。

 主人公の珠美は「高校を卒業して14年」という台詞があるので、そこから察すると今は32歳くらいと思われる。社会に出て10年以上経っても、いまだ何者にもなれない自分の平凡さに嫌気を感じているどこにでもいる普通の女性である。

 高校生の頃から自己卑下の傾向が強く、本人曰く「ヘタレ」。でも絵を描くことが好き。音楽が好き。表に出せない本心を笑ってごまかす癖があり、大人になってからはヤケのように酒を飲んでは失態を繰り返す日々。そんな無茶は20代でやめたものの、何者にもなれない焦燥感と不安は今も変わらず、今日も仕事でヘマをして、帰り道に馴染みのバーで酒を飲んで気分をまぎらわしていたその時、マスターが掛けたあるレコードに心の引き出しを開けられ、珠美の心は忘れていた高校時代の出来事へと戻っていく。そこにはピアノを弾く少年、凛の姿があった…。

 『平家物語』を除けば、10代の少年少女主体の青春物語を紡いできた山田尚子監督にとって、30代の大人の女性を主人公として描くのは初めての試みである。もちろんこれまで大人を描いていなかった訳ではない。『けいおん!』シリーズでは大人の立ち位置から唯たちの姿を見守るさわ子先生がいたし、『たまこまーけっと』『たまこラブストーリー』ではたまこの父と祖父(と不在の母)、もち蔵の両親、そして商店街の面々がいた。『映画 聲の形』では将也と硝子のそれぞれの母親が強い存在感を放っていた。そこで描かれている「大人」は主人公たちの成長を見守り、彼らの自立を促す触媒のような位置付けにあった*2が、その「大人」自身は決して主役の座にはいなかった。

 また、山田尚子監督がラブストーリーを真正面から描くのも実は『たまこラブストーリー』以来である。『けいおん!』シリーズに恋愛要素はないし、TVシリーズの『たまこまーけっと』ではたまこ自身の”ラブ”が描かれることはない。『映画 聲の形』の将也と硝子の関係はストレートな恋愛感情とはやや言い難く、『リズと青い鳥』は女性同士の関係であるが、すれ違って食い違う感情の交錯する行方を描くことにフォーカスされている。

 そういう意味で「大人」の「ラブストーリー」は、山田尚子監督にとって意外にも新しいジャンルということになる(そもそも吉田玲子さんが関わらない脚本で作るのも初めてのことだ)。以前、監督は作品の中に自分自身を投影するようなことはないと仰っていたが、世代の近い珠美は、案外、山田監督の自画像に近いところがあるのではと邪推したくなる。


感想
 先程も触れた通り、本作は30分の短編である。しかし山田尚子監督のエッセンスが凝縮されているような作品だと思った。その感想をひとことで言うなら「愛おしい」。これに尽きる。高校時代の珠美も凛も初々しく愛らしい。心のときめきが表情と仕草だけで伝わってくる。大人になった珠美のダメさ加減も、むしろそこに人間くささと親近感を覚えてしまう。そんな風に世界を丸ごと肯定するような作り手のまなざしが優しい。この世界そのものが愛おしい。

 少し驚いたのは『彼が奏でるふたりの調べ』には、山田尚子監督がこれまで手がけてきた諸作品の空気がそこかしこに感じられることだった。バーのカウンターにうつ伏せになる珠美の仕草は『けいおん!!』第26話(番外編『訪問!』)で風邪を引いてHTTのメンバーが見舞いに来た時のさわ子先生の姿を(心境は全然違うが)彷彿とさせるし、レコードプレーヤーとアナログレコードは『たまこまーけっと』の世界そのものだ。体育館の静寂は『たまこラブストーリー』、自転車に乗って一直線に駆ける姿は『映画 聲の形』、音楽室の光と空気感は『リズと青い鳥』といった具合。今回は監督が絵コンテをひとりで担当されているので、映像の特徴や音響の性癖まで包み隠さず表出されているように思う。またEDロールに「演出」のクレジット表記がない(演出助手の名があるのみ)ということは、それもご自身の仕事なのだろう。監督+絵コンテ+演出。この作品における山田尚子監督の純度は高い。

 言葉にすればこぼれ落ちてしまうもの、言葉では言いあらわすのがもどかしい気配のようなもの、人と人との「間」に流れる空気、それらを掬い取る繊細な手つき…。山田尚子監督の個性として今や広く認識されるようになったそれらの映像表現のニュアンスは、30分の短編である本作においても如実に感じ取れる。確実にこれまでの作品を踏まえて、着実に表現を深化させている。山田監督は、キャラクターを記号的に消費させないようリアリティのある人間として描くことに注力し、人間の感情の本質的な部分にアニメーションでどこまで迫れるかをいつも求道的に模索している人なのだと思う。

 珠美と凛の初々しくぎこちない、自分の中に芽生えた新しい感情に戸惑っているような遣り取りのなんと甘酸っぱく愛おしいことか。二人だけの静かな世界を共有する喜びと、静謐と沈黙を分かち合う描写のなんと優しいことか。私が山田尚子監督の作品に惹かれる要素の全てがこの短い作品の中に詰まっている。共に学校の中で居場所を見出せない二人を慈しむように包み込む優しい描写が胸に染みる。広い体育館に響くピアノの音も、冷ややかな廊下の静けさも、音楽室の柔らかな光も、二人だけの聖域のように美しい。そして瞳の揺らぎ、震える唇、ためらう指先、表情豊かな足元の動き。

 山田監督の描く人物の背中姿はいつも忘れがたい印象を残す*3が、本作でも、取り返しのつかない喪失感に直面し、後悔にさいなまれる高校時代の珠美の背中姿が痛々しく、台詞も声も入っていないのに慟哭が伝わる仕草が切ない。台詞ではなく映像と音響がすべてを物語る。

この場面に台詞はない。音楽も環境音のようなアンビエント・ドローンが流れているだけだ。それでも珠美の仕草と表情だけで哀しいという情感が胸に迫ってくる。この一連のシーンのまるでミリ単位・秒単位で人の表情と行動の機微を捉え尽くした演出は、まさに山田尚子監督の真骨頂。

 山田尚子監督は、音楽が沈黙よりもなお深い静寂を際立たせ、観る者の心の中に静寂を”響かせる”こと、無音の瞬間が観る者の意識の連続性を宙吊りにして、瞬間的に内的世界へ引きこむことを熟知している人だと思う。音楽を静寂のメタファーとして使い、無音の表現で観る者の意識を誘導する演出技法は、近年の作品においてますます先鋭化している。

『彼と奏でるふたりの調べ』では、この場面で”無音”が演出される。観る者の意識は物語の表層から一瞬切り離され、珠美の心の内部に引き込まれるような感覚を味わう。

 本心を笑ってごまかす珠美の癖は、高校時代の凛との間に埋めようのない心の溝を作ってしまった。大人になった今、それはもうすっかり記憶の底に埋もれてしまって忘れ去っていた過去の出来事だったが、その思い出が蘇った瞬間、珠美の目から無意識のうちに涙が溢れ出すほど、彼女の心の奥底で今も深い傷となって残っていた。

 その記憶を呼び起こすきっかけとなったものが、バーのマスターが掛けたレコード、シーナ&ザ・ロケッツの「ユー・メイ・ドリーム」だった。作品タイトルの『彼が奏でるふたりの調べ』は、高校時代の凛が体育館のピアノで珠美に弾いてみせたシーナ&ザ・ロケッツの幾つかのナンバーを指している。

直前まで近くで遊んでいたはずのバスケをやっていた生徒の声も姿もこの瞬間には消えている。珠美の主観の中ではもう凛のピアノしか聴こえていないのだろう。


シーナ&ザ・ロケッツ/ユー・メイ・ドリーム
 珠美の心の引き出しを開ける物語の重要な”鍵”となる「ユー・メイ・ドリーム」(You May Dream)は、1979年にリリースされたシーナ&ザ・ロケッツの大ヒット曲である。1980年頃、JALのテレビCMで頻繁に流れたので、シーナ&ザ・ロケッツを知らない人でも、今50代以上の方ならサビのリフレインに聴き覚えのある人も多いだろう。この選曲が脚本の荻上直子さんなのか、山田尚子監督の発案なのかはわからない。最初に作品のアイデア(このシリーズはすべて実話を基にしている)があって、そこに肉付けしていく過程で監督の意向が反映されたのだろうと推察しているが、今のところは不明だ。

 劇中でバーのマスターがレコード・プレイヤーにドーナツ盤を載せた時、このアルファレコードのロゴマークが目についた*4

バーのマスターがおもむろにかけたドーナツ盤。拡大して見るとラベルに「YOU MAY DREAM」と書かれている。

 一瞬「?」と思っていると、すぐにギターのカッティングが聴こえてきて「あ、これはたしか…」と思った直後、”あなたの事思うと…”と歌声が聴こえてきた。その時、朧ろだった像が急に焦点を結んで、私は思わず「ああ」と声を出していた。高校生の珠美と同じように「シーナだ」と呟いていた。さすがに涙を落としたりはしなかったが、彼女が高校生の頃の記憶を次々にフラッシュバックさせるのと同様、私もまた過去の思い出や当時の空気がまざまざと脳裏に蘇ってきて冷静でいられなくなった。なぜなら「ユー・メイ・ドリーム」は、私が10代の頃にリアルタイムでヒットしていた曲だからだ(正確には中学3年生の頃)。

 劇中で珠美が語る「音楽は心の引き出しみたいなところがあって、ふとしたきっかけで過去の記憶が全部溢れ出してしまうことがある」を自分もまた身でもって体験することになった。長く聴くことのなかったこの曲を”ふとしたきっかけ”で耳にして、記憶を過去に引き戻されて心をかき乱されてしまった。劇中の主人公と同じ体験を同じタイミングでシンクロしたかのように味わうという、なかなか起こりえない稀有な出来事だったと思う。もっともこちらは珠美の3倍くらい昔の記憶だけれど。

 体育館のピアノで凛が奏でるシーナ&ザ・ロケッツのナンバーの曲名を珠美が事もなげに当ててみせる”Radio Junk”も”Lazy Crazy Blues”も、”You May Dream”と共にアルバム「真空パック」(1979年)に収録されている楽曲である。細野晴臣がプロデュースしたこのアルバムはYMO一派が制作に関わった、60年代のガールズ・ポップとテクノポップとパンク/ニューウェイヴの要素が渾然一体となった傑作である。

 「真空パック」は制作時期や背景から考えると、鮎川誠がギターで客演したYMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のある意味で兄弟アルバムと言えるが、パンク/ニューウェイヴ/テクノ色にとどまらず、イギー・ポップ率いるザ・ストゥージズの”1970”に日本語オリジナル歌詞をつけた”Omaega Hoshii”、キンクスの”You Really Got Me”の轟音カバー、ジェームズ・ブラウンのパンク解釈など、古典に対するアプローチも光る。グラビアから出てきたのかと思うほどフォトジェニックなシーナと鮎川誠のルックス、キッチュでキュートでいながらタフでタイトな音作りなど、時代的にはB-52’sの1stからの影響もあったのではないかと思う。

(左)シーナ&ザ・ロケッツのアルバム「真空パック」(1979)のジャケット。
右)アナログ盤のラベル。「Produced by Harry HOSONO」(細野晴臣)と記されている。

シーナ&ザ・ロケッツ ー “You May Dream”
細野晴臣が作曲に関わっており、YMOのメンバーも全面的に演奏をサポートしているシーナ&ザ・ロケッツの出世作。

シーナ&ザ・ロケッツ ー “Radio Junk” 
YMOがライブアルバム「Public Pressure」(1980年)でカバーしており、作曲も高橋幸宏なので、YMOのオリジナルと思っている人も多いだろうが、元はシーナ&ザ・ロケッツのために作られた曲。なお、YMOバージョンはライブ音源しか残されていない。

シーナ&ザ・ロケッツ ー “Lazy Crazy Blues” 
”You May Dream”のシングル盤(アナログ45回転のドーナツ盤)のB面収録曲だった。 

 この時期(アルファレコード在籍時)のシーナ&ザ・ロケッツは、サンディー&ザ・サンセッツと同様にYMOファミリーだった。同時期のスネークマンショーの1stアルバム(通称「急いで口で吸え」)に「レモンティー」で参加しているのもその縁である。*5
シーナ&ザ・ロケッツ ー “レモンティー” 
スネークマンショーの1stアルバムに収録されたこのバージョンが最高という人は多い。私もそう思う。 

 70年代までブルースロックのサンハウスにいた鮎川誠の新しいバンドが、テクノポップのYMOのメンバーによる全面的なサポートの元にアルバムを発表し、一方で鮎川誠がYMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のタイトル曲と”Day Triipper”でギターを弾くというのは何とも不思議な感じがするが、同じ頃、四人囃子の佐久間正英がプラスチックスに加入し、プログレのマンドレイクで活動していた平沢進がテクノパンクのP-MODELを始めるといったような、ジャンルの垣根を越境した活動が次々と起こり始めた時期だった。

 それが1979〜1981年頃という時代の境目の光景であり、その背景には70年代半ばに勃興したパンク・ロックと、その後に続いたニューウェイヴ・シーンがもたらした音楽的活況があった。停滞した音楽シーンが世界的規模で急激に地殻変動を起こし始めたような空気がそこにあった。その中からシーナ&ザ・ロケッツは登場したのだ。

 高校卒業から14年ということは、珠美と凛の出会いは2008年頃だろうか。ちょうどシーナ&ザ・ロケッツが活動30周年を迎えた年だ。その頃の高校生でシーナ&ザ・ロケッツ好きというのはなかなか珍しいと思う。好きな音楽が同じ者同士は何をしなくても分かりあえるというのは私も実感するところなので、シナロケ好きの二人(まして同好の士は周りに誰ひとりいなかったろう)が、すぐに意気投合したのはとてもよくわかる。好きなものが同じというだけで人はつながり合える。*6


花・鳥・飛行機・空
 山田尚子監督はこれまでの作品の中で、路傍で可憐に咲く花や、空を舞う鳥や、頭上を飛んでいく飛行機(および飛行機雲)や、吸い込まれそうなほどに広い空を繰り返し描いてきた。『彼が奏でるふたりの調べ』でも、ひまわりの花束、学校をエスケープした二人のベンチの側に咲く花、足元から飛び立つ鳥、太陽をかすめる飛行機、珠美の視線の向こうに一直線に伸びる飛行機雲、二人乗りの自転車の背後に広がる青空などが印象的に描かれる。*7

『彼と奏でるふたりの調べ』より。

 山田監督の描くこれらの映像言語は、人間の営為とは無関係に世界は超然と存在し、人の思惑とは関わりなしに、美しく自由にそこにあることを物語っている。物語の登場人物が他者との関わりに悩み苦しみ、地べたを這いずり回るように四苦八苦し、時には互いに争い合い、哀しみの底に突き落とされても、それでも世界は美しい。

 『映画 聲の形』の公開後、山田尚子監督はインタビューでこのようなことを語っている。

「この子たちは明日を生きるのも辛そうなくらいすごく悩んでいますよね。でも一歩引いて見た時に、その子たちがいる世界ごとはそんなに絶望感がある訳じゃない。ちゃんと生命は宿っていてお花は咲くし、水も湧くし。彼らがいる世界全てが悩んでいたら嫌だというか、彼らがパッと見上げた空は絶対に綺麗であって欲しいと思ったんです」
 それは物語の世界を外から眺める俯瞰的な視線を感じさせるもので、物語内の世界と登場人物の行く末を静かに見守る”神の目線”のようでもある。


ジョン・カーニー監督と山田尚子監督
 オリジナルである「モダンラブ」は、ニューヨーク・タイムズ紙のコラム「Modern Love」に投稿されたさまざまなエピソードを元に制作されたamazon配信のドラマ・シリーズだ。「モダンラブ・東京」はその日本版で、オリジナル「モダンラヴ」で製作総指揮・監督・脚本を務めたジョン・カーニー(John Carney)の名前がオープニング映像にExecutive Producerとしてクレジットされている。

 ジョン・カーニーは『ONCE ダブリンの街角で』『はじまりのうた』『シング・ストリート 未来へのうた』などの作品で知られるアイルランド出身の映画監督である。オリジナル「モダンラブ」が、日本での配信時には「モダンラブ 〜今日もNYの街角で〜」とサブタイトルがついていたのも、ジョン・カーニーに敬意を表してのものだろう。そのジョン・カーニーが「モダンラブ・東京」の製作にも関わっている。この事実は『彼が奏でるふたりの調べ』の制作にあたって、山田尚子監督に何らかの大きな心理的影響を及ぼしていたことを想像させる。

 かつて京都アニメーションのスタッフ・ブログで山田尚子監督は、ジョン・カーニー監督の『シング・ストリート』などに触れて、彼の描く世界が好きだと率直に語っていたことがあった。また『リズと青い鳥』公開時のインタビュー(2018年3月)では、HomecomingsのED曲のデモ音源を聴いた時の印象として、「ジョン・カーニー監督の映画の中の世界に入ってしまったような気分でした。良いも悪いもない。ただもう、これなんだ!って思いました。わかりやすくいうと、感動しました」との発言を残している。
 そのHomecomingsへのインタビュー(2018年5月)でも、ギターの福富優樹さんが「打ち合わせ段階でも『シング・ストリート』の名前は挙がってた気がする」と語っている。

 自身もかつてはミュージシャンだったジョン・カーニー監督の作品は、いつも音楽と人との関わりを描くという特徴があり、その世界はどれも多幸感に溢れている。そう、どこか山田尚子監督が志向する作品世界と似通ったところがあるのだ。山田監督にとって憧れの映画監督の一人であることは間違いないだろう。そのジョン・カーニー総指揮のシリーズで制作を任されるという栄誉。そのことを山田尚子監督が意識していなかったはずがない。静かに気合が入っていたのではないかと想像する。『彼と奏でるふたりの調べ』もまた「音楽がつなぐ人の想い」のドラマであり、まるでジョン・カーニー監督へのオマージュのように思える。


スタッフ情報
 『彼と奏でるふたりの調べ』は、キットカットのCMと同じアンサー・スタジオの制作。脚本:荻上直子、絵コンテ:山田尚子、キャラクターデザイン/作画監督:林佳織、音響監督:木村絵理子、音楽:パソコン音楽クラブという布陣となっている。原画には『平家物語』でキャラクターデザイン/総作画監督を務めた小島崇史さんの名前もある。

 音楽を務めたパソコン音楽クラブは数年前にTwitterのフォロワーさんに教えてもらって以来、ずっと注目して聴いてきたテクノユニットだが、つい先日もサイエンスSARU制作のTVシリーズ『ユーレイデコ』でEDテーマ曲を担当していたばかりだった。サイエンスSARUは、山田尚子監督の『平家物語』、次回作『Garden of Remembrance』の制作会社であるが、ここでも監督と間接的につながっている。
 山田監督とは初仕事となったパソコン音楽クラブの劇伴は、彼らの独自性を発揮するものではなく、監督がこれまでの作品で確立させた"静謐と沈黙"という「山田尚子印」の世界観を壊さないように配慮しているという印象を受けた。中盤のアンビエント色の強いサウンドは、牛尾憲輔さんの劇伴へのリスペクトのようにも感じるのだが、実際のところはどうなのだろう。

 それにしても、シーナ&ザ・ロケッツとパソコン音楽クラブが山田尚子監督を介して出逢うとは…。この予期せぬ邂逅の驚きは大きかった。やはりこの2組のアーティストの選択は監督ご本人からのオファーだったとしか思えない。


補遺
 以下、上述の各章には収められなかった、もしくは収める場所がなくて漏れてしまった小ネタ的なものを覚え書きとして列挙しておこうと思う。

■珠美の描くイラストは山田尚子監督ご本人の直筆だろうと思う。

■音楽がこじ開けたのは過去の恋の記憶だけでなく、自分の夢や本当にやりたかったことを思い出すことでもあった。そしてここでも「大人」である美術室の先生の言葉が、時を越えて珠美の背中を後押ししている。

■この作品に単独の「キービジュアル」がないというのは、シリーズ作品の一編なので仕方ないとは思うが、ちょっと惜しい気がする。

■オムニバス連作の中の一編ということで、この作品に関する山田監督のコメントは制作発表時点の短い発言しかなく、もっと踏み込んだインタビューを期待したいが、なかなか難しそうだ。

■EDロールにシーナ&ザ・ロケッツの楽曲使用のクレジットがないのは、何か事情でもあるのだろうか。

■ひまわりの花言葉は花の数によって異なるらしい。花が五輪の場合の花言葉は「ない」そうだが、六輪になると「あなたに夢中」という意味を持つらしい。ラストで珠美と凛の持つひまわりの花束はどちらも六輪だ。

■またラストでマスターが撮影する二人の写真は、背景の調度品がいい感じに重なって背中に羽根が生えたように見える。今あるところからほんの少し飛び立てるような気持ちのあらわれであると同時に、二人で一つになることで飛ぶことのできる天使の羽根のようでもある。



終わりに
 『彼が奏でるふたりの調べ』は、観終わった後、心の奥に優しく暖かな灯が点るような愛らしい作品だった。何者にもなれなくていい。自分を卑下することはない。あなたはあなたであるというだけで価値がある。もしなりたい自分があるなら、そこから一歩踏み出すための勇気が1mmあればいい。この作品には生きることに不器用な大人たちへ贈るエールが込められている。過去の痛みを克服して今、1mmだけの勇気を持って前へ進む。その描かれ方が優しく暖かい。

 今回も山田尚子監督に最大級の称賛と感謝の想いを贈りたい。これからも折に触れて見返すことになるだろうと思う。小さくて愛しくてチャーミングでキュート。印象的な場面も多く、それらは端正で絵画的で空気の質感まで織り込んだように美しい。素敵な作品だった。大好きだ。


そして『Garden of Remembrance』へ
 この原稿を執筆中に続報が入ってきたので、最後に最新の動向について触れておきたい。スコットランドで開催されている英国唯一の日本のアニメーション・フェスティバル「Scotland Loves Animation 2022」において、現地時間の10月28日(金)17:50から(日本時間は10月29日(土)深夜1:50〜)、エディンバラにあるCameo Picturehouseで山田尚子監督の新作『Garden of Remembrance』のワールドプレミア上映がおこなわれた。6月のアヌシー映画祭での告知通り15分の短編作品。上映後、山田監督が登壇され、約1時間のQ&Aセッションが行われた。非常に盛況であったことが窺える。

 キービジュアルのポスターには、新たに”A short film by Naoko Yamada”の一文が追記されている。とてもパーソナルな作品という印象を受ける。15分の短編はこれまで山田監督が手がけてきた商業作品とは明らかに性質の違うものだ。インディペンデントのアニメーション作家の作品のような、あるいは名の知れた商業映画の監督が自分自身のアーティスト・エゴを叶えるために撮った実験映像のフィルムのような、そんな作品を想像してしまう(スタッフも最小限の人数に絞ったのではないだろうか)。いよいよ本当の意味で山田尚子というクリエイターがその作家性を明らかにする機会がやって来たのではないかと思う。


 現地で観た人の感想が少しずつTwitterで流れてくるのをウォッチしていたが、『Garden of Remembrance』はその言葉通り*8、亡き者への「追憶の庭」であり、死と喪失、そしてグリーフワーク*9が大きなテーマになっていると思われる。幾つかの監督の発言を綜合すると、この作品もまた音楽が主軸にあり、「音楽とアニメーションのコラボレーションを考えるところから始まった」らしい(コミックナタリー 2022年10月29日記事参照。以下にリンクあり)。

 本作で山田さんは「監督・脚本」の双方でクレジットされている。「台詞のない映像と音楽だけの作品」であるという情報も入ってきた。実験的で非常にチャレンジングな作品のように思える。

 昨年の後半からかつてないペースで新作を発表し続けている山田尚子監督。商業性と作家性の双方を発揮できる状況になった今、まさに充実期に入ったといっても過言ではないだろう。『Garden of Remembrance』は短編とはいえ(いや、商業性にとらわれない短編だからこそ)、監督のキャリアの中で後になって幾度も参照される重要なマイルストーンになるような予感がする。

 『Garden of Remembrance』は2023年公開の予定。今から待ちきれない。

2022年10月30日 記

*1:映画『かもめ食堂』『めがね』『彼らが本気で編む時は、』など代表作多数。

*2:エディプス・コンプレックス的な障壁でない点には注意が必要かと思う。

*3:『映画 聲の形』の硝子は特にその印象が強い。

*4:このバーのマスターは間違いなくリアルタイムでこの曲を聴いていた世代のはず。

*5:シーナ&ザ・ロケッツの「レモンティー」も彼らの最初期の代表曲であるが、これはヤードバーズの”Train Kept a Rollin’”に日本語オリジナル歌詞を載せたもので、元々は鮎川誠が在籍したサンハウスの楽曲のセルフカバーだ。ベースラインのドライブ感が最高なこの曲は、1951年発表のTiny Bradshawの楽曲がオリジナルで、その後、Johnny Burnette(1956年)、ヤードバーズ(1965年)と順にカバーされて有名になった。元々は「ニュー・ヤードバーズ」だった初期のレッド・ツェッペリンもステージで度々取り上げ、1974年にはエアロスミスもカバーしている。この時期以降のカバーはどれもヤードバーズを範としていると言ってよく、それほどまでにヤードバーズのポール・サミュエル=スミスが編み出したベースラインは天才的なものだった。ちなみに英国3大ギタリストが在籍していたことで知られるヤードバーズのこの時期のギターはジェフ・ベックで、”Train Kept a Rollin’”のギターもベックが弾いている。日本語オリジナル歌詞は過剰なまでにエロティックな隠喩に満ちているが、そもそも原曲の歌詞が性的隠喩を含んだものなので解釈としては間違っていない。

*6:余談であるが、アニメーションの『けいおん!』シリーズのキャラクターの名前が、3年2組のサブキャラクターも含めて1980年代前半の日本のパンク/ニューウェイヴ・シーンのミュージシャンから多く引用されていることはよく知られているが、不思議なことにP-MODELやプラスチックスやヒカシューや一風堂と同時期に登場したシーナ&ザ・ロケッツのメンバーからはひとりも選ばれていない。鮎川、奈良、川嶋という苗字を持つキャラクターがいないのは今思うとちょっと意外に思える。

*7:「鳥」については、山田尚子監督の前作『平家物語』ではとりわけ重要な意味を担っており、戦い合って儚く散る人の生命とは対照的に、自由で優雅に空を舞う存在として、またある時は人を脅かす不吉な存在として描かれていた。それは「生」と「死」の両義性を孕むと共に、人間にとっては理不尽な自然界の象徴のようでもある。

*8:"Garden of Remembrance"は通常の庭や公園ではなくメモリアル・ガーデン、つまり亡き人を偲ぶための追悼の庭園、もしくは直截的に霊園を意味しており、"Garden of Remembrance"という名の庭園や霊園は世界各地に実在する。なお作品のタイトルが、”a”や”the”のない無冠詞であることには注意が必要だろう。一般的な庭でも、特定の庭でもない、もっと抽象的な「追悼の庭」「追憶の庭」という概念を指しているように思える。

*9:親しい人との死別や離別によってもたらされた悲嘆から立ち直るためのプロセスのこと。

【レポート】P.A.WORKS堀川憲司社長のトーク「アニメーションづくりの魅力-富山からの発信」~組織作りと人材育成、そして京都アニメーションへのリスペクト

毎年秋に開催される「京都ヒストリカ国際映画祭」。第11回となる今年の特別企画は「今こそ語り合おう京都アニメーション、そして京都がアニメ文化史に刻んだ足跡を深堀りする」というテーマでした。このプログラムでは、京都アニメーションの劇場4作品*1が上映され、その魅力を再確認するとともに、京都アニメーションと同じく地方でアニメ制作を手がけられている富山の(株)ピーエーワークスP.A.WORKS*2代表取締役の堀川憲司社長をお招きして、「アニメーションづくりの魅力-富山からの発信」と題するスペシャル・トークが開催されました。以下はそのトークの記録です(2019/10/27 Sun.)。

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第11回 京都ヒストリカ国際映画祭 

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トーク京都文化博物館の別館(重要文化財)で京アニ作品の上映前後に開催されました。 

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堀川憲司社長のプロフィール

 

 お話の聞き手は京都文化博物館の森脇清隆さん*3。堀川社長の登壇前に今回の企画の背景について語っていただきました。要約すると次のような趣旨です。

 

・アニメ制作の「スタジオ」の重要性という点に焦点を当てたいと思い、今回の企画を立てた。
・京都では戦前から、映像を学んだ人たちがアニメを作る文化があった*4
・戦後は東映京都撮影所出身の人たちが、後の東映動画で新しいアニメを作り出した。
・そのような京都という地でアニメ制作を続ける京都アニメーションは、現在「元請け」*5できる地方のアニメ・スタジオ3社のうちの1つである。
・そこで今回は富山でアニメーション制作会社P.A.WORKSを経営されている堀川社長に、東京以外ではなぜこんなにもスタジオの数が少ないのか?富山でアニメ制作会社を運営することの意義などについてお話をお聞きしたいと(面識はなかったが)依頼をしたところ快諾いただき、実現の運びとなった。

 

続いて森脇さんの紹介でステージ左側から堀川憲司社長が登壇されます。お話しいただいた内容は、P.A.WORKSが制作した数々の作品のエピソード、地方を舞台背景として描くことへの想い、会社のたどってきた歴史、経営における組織論・人材育成論へと至ります。その言葉の端々に、地方の制作会社の先輩として業界の先頭を走ってきた京都アニメーションへの熱いリスペクトが窺えました。

 

それでは当日のトークの内容を手元のメモから書き出してみます。元々はこのような形で記事化することを想定しておらず、トークが終わった後で内容の重要性に気づき、これはどこかでまとめておかないといけないと思って書き起こしたものです。すべてのトークのメモを録りきれていませんし、若干の聞き違いもあるかもしれません。その点はご容赦の上、ご指摘いただければ幸いです。発言はすべて「です・ます」調ではなく「だ・である」調で統一しています。また文意が通りやすいように、実際には語っておられない文言を意図的に追加している箇所もあります。

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格調ある京都文化博物館別館。ステージ向かって左側に森脇清隆さん、右側に堀川憲司社長が着座されました。 

 

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(森脇さんの発言のみ頭に「森脇」と明記した上で、発言箇所の文字を紫色にしています。残りはすべて堀川社長の発言です。以下、敬称略)

 

・日頃、このような形で人前で話すことは少ない。

・森脇 初めてP.A.WORKSを意識した作品は『CANAAN』だった。シリーズ全体のトーンがしっかりまとまっている印象があった。次が『Angel Beats!』で、これもシリーズ構成やトーン、次回以降の展開への予感を上手く盛り込んだ伏線の張り方等、作品の隅々までトータルで管理できていて、このスタジオはすごいなという感想を持った。また「地域」「地方」という観点では、湯涌温泉の「ぼんぼり祭り*6のようにアニメで描かれたものが実際の祭りとして定着するという現象も興味深いものだった。

・地域の文化や風景をモデルとして描くことを意識した最初の作品は『true tears』。この作品が元請けの記念すべき1作目だった。

・地方のアニメ会社だから地方に密着した作品を作るという訳ではない。これは都会育ちの自分が地方の文化に触れて「絵になるな」「素敵だな」「アニメに描けたらな」と思ったことが大きい。

・『true tears』は2008年の作品。1990年頃はこんな企画は通らなかっただろう。20年前くらいから風向きが変わってきて、無国籍的な作品ではなく日本の田舎の風景を出すと喜ばれるようになった。また2000年頃からのデジタル技術の進化で光と影を描き込めるようになり、背景画のレベルが上がったことも大きい。日本の四季の風景をそれなりに描くには高度な技術が必要。それが可能になってきたのがその時期である。

・実は『true tears』は最初は城端*7を舞台にする予定ではなかった。西村純二監督*8が本社に来られて合宿した時に「この場所が舞台でいいんじゃないか」と仰ったので決めた。それは自分の思いと同じだった。

・北陸の冬は青空がない。色彩を失ったモノトーンの景色の美しさに触れて、ぜひこの北陸の冬の風景をアニメで表現したいと思った。それが『true tears』に描かれている。そこから観光地ではない田舎をもっと描いてみたいと思うようになった。

・地元に住んでいると当たり前になりすぎて、その風景の美しさに気づかない。この景色を切り取ってわざわざ描きたいとは思わない。自分はよそからやって来たので、地元の人にとっては当たり前の風景でもそこに美しさを見出す。

カメラを向けるとそこにあるすべての情報が入ってくるが、アニメではそのすべてを描くことはできない。本当に表現したいもののみを選ぶことになる。それが見る者にも伝わるのではないか。

・富山に行ったのは大学入学のため。そこで結婚もした。一度、東京へ行って子供が大きくなった2000年に富山に戻ってきたが、アニメの制作会社がなかったので自分で作った。富山でTVシリーズを作れる会社にするというのが第一目標。まず人材育成をできるアニメーターを呼びたいという考えから『有頂天家族』の吉原正行監督(当時は演出)に富山へ来てもらって2人で立ち上げた。あともう一人、これも『有頂天家族』でキャラクター・デザインを手掛けた川面恒介氏を入れての3人で会社をスタートさせた。

・富山で早速求人募集をしたが、最初の数年は全然応募がなかった。やがてグロス請けで『鋼の錬金術師』や『攻殻機動隊』を手掛けるようになってから、知名度が上がって急に社員も増えた。

・『花咲くいろは』は富山から少し離れた金沢の奥座敷である湯涌温泉を舞台とした。ちなみにあの女将にモデルはいない。

・森脇 『クロムクロ』は剱岳の八ツ峰での戦闘シーンがあるが、この場面のスケール感が正確。TVアニメでこれほどしっかり描かれるということに驚いた。

黒部ダムにもロケに行った。予想外だったのは、巨大ロボの設定であっても黒部ダムと対比するとものすごく小さくなることだった。市街戦で建物を壊す場合は、あらかじめモデル地に許可をもらった。

・『サクラクエスト』は「働く女の子シリーズ」の第3弾にあたる*9。こういった地味な話は普通であれば企画が通らない。

・「こういうテーマで、こういう結末で、こういうことを訴えたい」という明確なものがあって作品を作ることはない。アニメを作ることに専念していると世間にどんどん疎くなる。社会人としてどうか?という不安もある。一日18時間くらいアニメのことを考えているので、それなら「社会で働くこと」を作品の中に入れたら、一日中ずっと登場人物たちと一緒に社会のことを考えていられるのではないか。地方に暮らす自分たちの思いやコミュニティを維持するという思いにはっきりとした答えはない。目的が見出せない若者がどうやったら目的を見出せるのか。シリーズの制作を通してそれを考えてみようと思った。

・『有頂天家族』はアニメ化の原作として当社に持ちこまれた企画だった。一読してぜひやりたいと思ったが、実現までにかなり時間がかかった。最初は映画での公開を考えていて120分程度の尺を想定していた。しかし伏線が張り巡らされた原作を120分で収めることは困難であると判断し、TVシリーズに変更した。

・和風で記号的ということでキャラクター・デザインに久米田康治氏を起用した。原作挿絵の中村佑介氏の絵だと狸の印象はかなり違っていただろう。

・『有頂天家族TVシリーズの企画を水面下で進めていた頃、京都アニメーションが『たまこまーけっと』の制作を発表してかなり慌てた。舞台が出町柳の商店街と知って、「え?出町?下鴨神社のそば?なんで被った!?」と正直思った。その直後、京アニの八田社長と初めてお会いする機会があって、そのときに「実は原作の前からのファンで、たまたま同じ舞台なのですがやらせてください」とお話ししたら快諾いただけた。

・森脇 『たまこまーけっと』の時、八田社長にお会いしたら「先日、堀川さんが来はったんや」とものすごくうれしそうに語っていらっしゃったことを憶えている。

・『有頂天家族』のロケハンと取材は、吉原監督が京都のウィークリー・マンションに住み込んで作業を進めた。ところで京都のエスカレーターは並びがバラバラ。東京は左側、大阪は右側へ一列に並ぶが、京都は左右が混在していてルールがない。これはなぜ?

・森脇 京都は前にいる人にならう。前に立っている人が左側ならその後ろに並ぶ。後から来る人の邪魔にならないようにしているのだと思う。

・森脇 『有頂天家族』は狸の走るスピードが速い。京都の通りを駆け抜けていく描写がいい。

・自分にしてみたら、狸は動きの遅い動物。田舎では車で狸を轢きそうになる。車が目の前まで迫っているのになぜそこで立ち止まる!?と思ってしまう。

・原作者の森見登美彦さんは、執筆の際に映像を意識しないで書いていると聞いた。そのように言葉の力で書かれた原作を映像にするのはやはり苦労があった。しかし後に森見さんから、今度は出来上がった映像の方に引っ張られるようになったとも聞いた。

・森脇 『有頂天家族』は音楽も良かった。毎回どのようにして人選されるのか?

・懇意の音楽家であるとか、監督が音楽プロデューサーに意向を伝えて、そこで候補を色々と聴かせてもらって選ぶということもある。『花咲くいろは』の時は、当時『おおきく振りかぶって』のサントラを愛聴していたこともあって、是非にと思って浜口史郎さんにお願いした*10

・先般、NHKの連ドラ「なつぞら」でアニメの制作スタジオがドラマの舞台となって話題になったが、それまでアニメのスタジオを描く作品はなかった。それはなぜか?ひとつは業界に対する負の情報が流れていたことがあると思う。しかし、アニメの業界で働いている人たちがみな負の感情を持って仕事をしている訳ではない。クリエイターが何に喜びを感じて仕事をしているかを考えてみたかった。そこで制作進行から見たクリエイターの喜びを描いてみようというのが『SHIROBAKO』の発端となった。そのアイデア水島努監督*11に話したら、「それは自分もやりたいと思っていた」と仰っていただいた。実は監督の頭の中には、1話の冒頭のシーンの絵(ライバル会社の車が横に並ぶ)まですでに出来ていたらしい。

・『SHIROBAKO』は制作進行を描いた作品ではなく、あくまで制作進行が見た様々なクリエイターの姿というのがポイント。この作品を30代の若さで作っていたら、もっと鼻息の荒い作品になっていたかもしれない。今の自分の年齢だからこそ、バランスの取れた描き方ができたと思う。この作品は業界の先人へのリスペクト。「次の世代にどう繋いでいくのか」を描ければと思っていた。

NHKの「なつぞら」は東映動画のあの頃のカンカンガクガクの一体感が描かれている。真剣に自分の意見を言い合えるような職場。京都アニメーションのクリエイターにも同じ姿勢が感じられる。いいものを作ろうという熱意が伝わってくる。今のアニメーションの一般的なクリエイターよりもポテンシャルが高いと思う。これはひとつの理想である。僕も自社の中でわいわいがやがや言い合いながらモノを作る環境を今整えているところ。

・クリエイターは自分がどう見られているのかを分かっていないと良いものはできない。今自社でやろうとしていることは、間に合わせでたくさん「えいやっ」と作ってしまうのではなく、数人単位で作ったものを他のクリエイターがどう評価するかという「評価会」の時間を仕事の合間に作ることだ。カメラワークやカット割りや重心移動など、技術者の視点がないとできない評価をし合う会である。

・森脇 京都アニメーションがまさにそんな雰囲気で、打ち合わせの場でも監督ではない色彩設計の人が延々と自分の意見を熱く語ったり、「ここからデラちゃんが出てきたら面白いよね」とか色々な立場の人が自由に意見を出し合って、そこからまた話が膨らんでいく印象がある。

・それは長い時間をかけて培ってきた社内文化、あるいは社内の空気だと思う。京都アニメーションは何十年もかけてひとつの理想的な組織体を作り上げた。そのようなことを成し遂げた会社が現実にあるということは、僕らにとって大きな励みになる。作品を創ることへの熱い想いをお互いにぶつけ合い、遠慮なく何でも言い合える一体感のある制作現場をうちも目指したい。

・森脇 地方でスタジオを運営する上で東京と違う点は何か?

・富山という土地にいれば、文化の最先端である東京への憧れがあってもおかしくはない。若い人は特にそうだ。それは京都に住む人とともまた違う感覚だと思う。この地で何十年もアニメを作っていくためには、優れた人材を集めて維持し続けなくてはならないが、それは都会よりも遥かに時間がかかる。しかし都会は都会で人材の流動性が高いという問題もある。

・組織を作ること、社内文化を育てることは、長期的に取り組まないといけない。そこにいるスタッフ全員が同じヴィジョンを持ち、それに賛同していないと達成できない。人を育てること、強いチームを作ることは、人の流れが激しいと難しい。そういう側面だけで見れば、人材の流動性は低い方が良いということになる。

・しかし一方でクリエイターという人種は、ひとつのことに縛られたくない、決まっていることを破壊したくなるという願望を持っており、それも大事な感性のひとつである。この双方の気持ちをバランス良く保てることが大切である。

・森脇 P.A.WORKSは、京都アニメーションに比べて外部のリソースをうまく使う印象がある。

・それはあまり意識していないが、表現のマンネリ化を避けるためには新陳代謝が必要であるし、社内の中で固まってしまうのを打破するためには、皆を刺激する人がいた方が良い。京都アニメーションは、内部ですでにそういう意識を持っているのではないか。

・『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の動画を見たとき、これほどの情報量を持った絵を動かすなんて他ではとてもここまではできないと思った。一体どこまで技術力を上げていくのか、まるで修行僧のようだ。

・ただアニメーションの表現は、情報量の緻密さだけで評価されるものではない。絵としての表現の魅力は他にもあると思っていて、息抜きのような方向性も考えてみたい。

・森脇 京都アニメーションの表現は、同じ線上を辿りながらえげつないまでの動きに進化してきている。それは『けいおん!』の楽器→『響け!ユーフォニアム』の運指→『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の義手という流れに見られる。

・あの原画に応えられる動画マンが自社内にいるということが大事。あのクオリティでそのままよその会社へ出したら、間違いなく目をむかれる。そして大抵くにゃくにゃの動画になって返ってくる。

・森脇 最初に『ユーフォニアム』の企画を伺ったとき、「楽器はCG?」と聞いたら「いや手描き!」とニヤニヤしながら答えが返ってきた。努力する人が皆そのことに喜びを感じている。挑戦すべき課題を設定し、それを達成することで皆の体験になっている。

P.A.WORKSは来年で20周年を迎える。社員の人数的には目標まであと3年くらいはかかると見込んでいる。そこから若手のレベルを引き上げるまで更に4~5年。チームがひとつの理想形になるには、やはり30年はかかるのではないか。

・どうやって人の面倒を見ることのできる時間を作り出すか。技術を教えこんでも逃げられてしまっては意味がない。ということは、やはり組織的に固定給にしないと無理。うちも社員にしてからやっと教育体制を整えることができた。先に述べた「評価会」のようなものも含めて1週間のうちに数時間でもそうした時間を作るようにしている。誰かに任せる「徒弟制度」ではもう維持していくのは難しい。

・熱い想いを持ったクリエイターたちがわいわいがやがやと意見をぶつけ合って一斉に何かひとつのものを作っていく、その鳥肌の立つような感動を味わいたい。『SHIROBAKO』の第12話はまさにそんな自分たちの想いが込められている。

・森脇 2020年2月には『劇場版SHIROBAKO』が公開される。

・本日、これから最終シーンのアフレコに立ち会ってくる。

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 14:00から始まったトークは終了予定の15:00を15分もオーバーする熱の入りようでした。堀川社長は一貫して組織作りと人材育成の重要性を指摘され、その理想的なあり方を実践しているのが業界の先輩である京都アニメーションであることを幾度も強調されました。堀川社長が同社へ寄せる強いリスペクトを感じることのできた貴重なひとときでした。


(2019/11/01 記)

*1:上映されたのは、『涼宮ハルヒの消失』『劇場版 響け!ユーフォニアム~北宇治高校吹奏楽部へようこそ~』『映画けいおん!』『たまこラブストーリー』でした。

*2:富山県南砺市に本社を置く日本のアニメ制作会社。代表作は『true tears』『Angel Beats!』『花咲くいろは』『有頂天家族』『SHIROBAKO』『ウマ娘 プリティーダービー』『色づく世界の明日から』等、多数。

*3:京都アニメーションの作品では、『たまこまーけっと』『たまこラブストーリー』『響け!ユーフォニアム』シリーズにおいて取材協力をされています。

*4:「日本のアニメーションの父」 政岡憲三の足跡を振り返ることも、第11回京都ヒストリカ国際映画祭の大きなテーマでした。政岡憲三 - Wikipedia

*5:一本の作品の企画から制作までおこなう会社を「元請け」といいます。この「元請け」となる制作会社から話数単位で演出、作画、背景美術、仕上げ、撮影までまるごと受注するのが「グロス請け」です。

*6:花咲くいろは』の中で描かれた架空の神事。作品から逆輸入する形で放映後の2011年10月に湯涌温泉の祭事として実際に執り行われ、以後、毎年秋に開催されています。すでにアニメ発祥という由来を知らない人も増えてきているという点で、アニメによる地域振興の中でも極めて興味深い事例と言えます。湯涌ぼんぼり祭り - Wikipedia

*7:true tears』の主要な舞台となったのが南砺市城端(じょうはな)でした。P.A.WORKSは、2016年に南砺市城端地域の「桜ヶ池」のほとりに本社を移転します。この場所は東海北陸自動車道城端SA」の城端ハイウェイオアシスの中にあります。

*8:アニメーション監督、演出家、脚本家。P.A.WORKSでは『true tears』の他に『グラスリップ』を監督されています。筆者のような年齢(50代)だと、押井守監督の『うる星やつら』のTVシリーズや『うる星やつら2  ビューティフル・ドリーマー』の演出、『らんま1/2 熱闘編』の監督として、そのお名前を記憶されている方も多いのではないでしょうか。

*9:花咲くいろは』『SHIROBAKO』『サクラクエスト』の3作品。

*10:その後もP.A.WORKSでは『TARI TARI』『SHIROBAKO』『ハルチカハルタとチカは青春する~』を手掛けていらっしゃいます。

*11:アニメーション監督。代表作『ガールズ&パンツァー』『侵略!イカ娘』『おおきく振りかぶって』『xxxHOLiC』等、多数。ちなみに2001年の監督作品『ジャングルはいつもハレのちグゥ』の数話を京都アニメーショングロス請けしており、コンテ・演出・作画に当時の京アニスタッフの名前(武本康弘さん、山本寛さん、池田和美さん等)を見ることができます。ジャングルはいつもハレのちグゥ - Wikipedia

【レポート】『この世界の片隅に』公開記念!ネタバレ爆発とことんトーク!@新宿ロフトプラスワン(2016/11/20)

(記事公開後、多くの方々よりご指摘・アドバイスを頂戴し、ニュアンスの違いで誤解を与えそうな表現や当方の明らかな誤認識にあたる箇所を修正いたしました。ありがとうございました。2016/11/23)

2016年11月20日(日)に新宿ロフトプラスワンにて開催された「『この世界の片隅に』公開記念!ネタバレ爆発とことんトーク!」の簡易レポートです。


元々はレポートを書くつもりはなく、いつものようにメモ帳を手元に置いて、興味を引いた箇所だけ随時メモっていたのですが、イベント終了後、twitterでその一部を呟いたところ、こちらの想像を遥かに越える反響があり、このトーク・イベントへ寄せるファンの皆さんの関心の高さに驚かされることになりました。f:id:los_endos:20161121220228p:plain
新宿ロフトプラスワンへ下る階段脇にある告知。

以下のレポートは、先にtwitterで紹介した文章を補足した上で再録し、呟けなかった内容も大幅に追加したものです。またtwitterでは時系列も発言者も分からないランダムな書き方をしましたが、ここでは第1部~第3部までの流れに沿った形で採録します。ただし上述の通り、レポート作成を目的としたメモ録りではないので、トークのすべてを書き取っている訳ではありません。その点はあらかじめご容赦ください。また適当なメモであるため、事実誤認があるかもしれません。その点についてはご指摘いただければありがたく思います。


なおイベント冒頭に主催者からの注意事項として、SNSでの情報の拡散はOKだが、

1.映画を観ていない人のためにネタバレに類することは呟かないでほしい。
2.オープンにされるとまずい内容については、司会者から指示するのでオフレコにしてほしい。

というお願いがありました。

最初の1.については、ブログ内なので特に問題はないと思います。ここから先は自己責任で進んでくださいと言うに留めておきます。2.については、途中で「ここは書かないで」というシーンが実際にありました。この部分については仰せの通り、記事にはしていません。また特に指示はなかったものの、これは書くべきではないと思われる箇所についても自主判断で掲載を控えています。元々すべてのトークをメモ録りできていたわけでもないという事情も含めて、当記事はコンプリート版ではありません。あらかじめご了承ください。

 

第1部
登壇者:片渕須直(監督)、こうの史代(原作)、真木太郎(プロデューサー)
(敬称略)
f:id:los_endos:20161121220325p:plain
壇上左から2人目が片渕須直監督、右に原作者のこうの史代さん、真木Pの順。第1部のみ撮影OKでした。


・監督はかなりお疲れなのか、オーダーしたドリンクはいきなり「レッドブル」。

・上映2週目を迎えたが、1週目より興行収入が上回っている。この土日だけで2割増し。週間ベースなら恐らく5割増しまでいけるのではないか。こういう作品は年にせいぜい1~2本くらい。本作はまさにこれだった(真木)。

・儲かって悔しがっている人がいる(真木)。

・60~70歳代の客層が多いので、学生や勤め人が観られない平日昼間の客席の埋まり具合が非常に良い(片渕)。

・ネットの情報に詳しくないこの世代の方々に広まってきたのは、新聞・ラジオ・NHKの宣伝が大きいと思う。民放のテレビ局はある事情でこの作品の宣伝や紹介をしてもらえない。この映画を周知する上で一番大きな働きをしているのがSNSの書き込み(真木)。

・今回は失地回復のための負けられない戦いだった(片渕)。

・この作品はプロデュースに反対する人が多かった。こんな作品は世の中は欲していないと決めつけられた(真木)。

東日本大震災の当日17:00に双葉社で会議の予定があって、ヘルメットを被っている人達の脇をくぐりぬけて双葉社へたどり着いたら「来たんですか」とびっくりされた(片渕)。

・最初のロケハンはその後の2011年5月。そこからも長く予算がつかず、雇っているスタッフ3人分の給料を全部立て替えていた(片渕)。

クラウドファンディングの初日、もし金額の伸びが悪いようなら自分が100万円ぶっこんでやろうと思っていた。しかし数時間で予想以上の金額になったので、その必要もなくなり取り止めた(真木)。

・ちなみに100万円という出資枠は、実際に100万入れる事態になった時を想定して自分用に用意していたもの。結局、自分以外にも誰もこの額で出資する人はいなかった(真木)。

・制作費は当初の想定の40%分をカットした。その結果、絵コンテも大幅に切った。その時カットしたコンテは、今販売している絵コンテ集にも載っていない。最初のコンテは2時間30分くらいだった(片渕)

クラウドファンディングに参加していただいた3,374人の皆さんがこの映画の初日を支えてくださったと思っている(真木)。

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