【舞台探訪】『けいおん!』(定点観測):まとめ記事

本稿は『けいおん!』舞台探訪の「定点観測」に関するまとめ記事です。


■定点観測の一例:『けいおん!』OPに登場した鴨川デルタの飛び石


「定点観測」の対象作品は今のところ私の地元が舞台(京都)であるけいおん!に限定しています。いずれ探訪対象の作品数が増え、しかも折りに触れて再訪するような場所があれば、他作品でも「定点観測」を行うことがあるかもしれません*1。逆に私が今の居住地を離れることになれば「定点観測」もできなくなります。


ここで「定点観測」という活動を行う理由と、基本的な取り組み姿勢・スタンスについて述べておきます。私個人の『けいおん!』の定点観測における行動理念は以下の通りです。

 
 1.『けいおん!』(1期&2期)の本編やOPに登場したキーポイントとなる場所を厳選
  し、その土地の四季折々の様々な表情を写真に捉えること。登場人物たちが過ご
  したこの町の季節感を見る人に伝えること。
 2.京都市左京区風致地区を除けば環境の変化の激しい地域であり、背景として描
  かれた建物や風景はいつ取り壊されて消滅するか分からない。この世から消え去
  ってしまう前にその風景の変化を記録として残しておくこと。


後でご紹介する写真にも出てきますが、『けいおん!』で舞台となった京都市内の幾つかの場所は、その後、改修や増築工事・撤去等があり、今では往時の姿を再現できなくなっているものがあります。わずか2年の月日しか経っていないにも関わらず、『けいおん!』の中で描かれた風景は、現実世界の中で徐々にその様相を変えつつあるのです。あと数年も経てば更に変化は進み、やがて当時の痕跡すら探し出すのが困難になる時が来るのではないか・・・。今、記録に残しておかなければ或る日突然消えて無くなってしまうのではないかという焦燥感と、誰かがそれをやっておかなければならないという使命感のような想いが私の背中を後押しします。*2


けいおん!』舞台変化の一例:北山通修学院駅東側のマンション。劇中で描かれた緑色のラインは、2009年11月の塗り替えにより無くなってしまいました(『けいおん!』第3話)。

2009/11/03撮影            2011/05/28撮影

新作の最速取材は心躍る体験ではありますが、それとは別に京都市左京区という『けいおん!』の舞台の真っ只中に住んでいるというアドバンテージを最大限に活かした、自分にしか出来ない舞台探訪というものがあるのではないか。地味な活動であっても、記録性という点において意義のある活動成果を残せるのではないかと考えて、この取り組みを行っています。大袈裟ではなく、これは私が京都に住んでいる限り続けていきたい活動だと考えています。


前置きが長くなりました。
以下『けいおん!』舞台探訪の定点観測の各記事のリンク先です。


(2011/05/25 記)


■探訪写真
MAP


より大きな地図で 定点観測:けいおん! を表示

地図は縮小表示していますので、必要に応じて上記の”より大きな地図で~”の後のリンク先をクリックして拡大して下さい。ブラウザがIEなら、アンカー上でマウスを右クリックして<新しいウィンドウで開く>を選択頂ければ、別ウィンドウが開くので便利かと思います。

各記事リンク先
■No.01 京都造形芸大の大階段(『けいおん!』OP)
■No.02 鴨川デルタの飛び石(『けいおん!』OP)
■No.03 叡山電鉄修学院駅(『けいおん!』OP)
■No.04 白川通曼殊院道交差点(『けいおん!』OP)
■No.05 北山通松ヶ崎橋(『けいおん!』OP)
■No.06 白川通 マクドナルド北白川店前(『けいおん!!』OP)
■No.07 北白川西伊織町 白川疏水通沿い(『けいおん!!』OP)
■No.08 叡山電鉄一乗寺駅(『けいおん!!』OP)
■No.09 北山通旧道との三叉路(『けいおん!』第1話)
■No.10 一乗寺下り松町バス停(『けいおん!』第2話)
■No.11 白川通修学院バス停付近(『けいおん!』第10話)
■No.12 松ケ崎樋ノ上町 唯の家の近くの田畑(『けいおん!』第12話)
■その他

*1:けいおん!』の主要なもう一つの舞台は言うまでもなく「旧豊郷小学校」ですが、本稿の対象からははずしているのは「自宅からやや遠いから」であって他に理由はありません。

*2:アニメや漫画に描かれた背景は既に作品と一体化しており、物語を構成する上で独自の意味を付与された一要素として、現実の風景の変化とは無関係に作品の中で半永久的に生き続けます。素材となった実在の風景がいかに変化しようと、それはもはや作品世界とは何の関係もない事象である…というのが、フィクションに対する本来的な受け手側の姿勢であるべきですし、その見解は正しいと思います。正しいのですが、それでは納得できないというのが舞台探訪者の悲しい性(さが)なのでしょう。