【舞台探訪】『言の葉の庭』~九月、そして(4/4)

新海誠監督の映画『言の葉の庭』の舞台探訪の記事、最終回(第四章)です。

→前章までの記事はこちらです。
【舞台探訪】『言の葉の庭~六月其の一(1/4)
【舞台探訪】『言の葉の庭~六月其の二(2/4)
【舞台探訪】『言の葉の庭~七月、八月(3/4)


■舞台探訪 [九月、そして]
※各シーンの場所情報はGoogle Mapにまとめてあります。各々の場所を確認されたい方は、当記事末尾に掲載しているMapを拡大してご覧下さい。
※各シーンの時刻はBlu-ray/DVDの再生時間です。再生プレイヤーによって若干のズレがあるかもしれません。


30:04 Scene76:東屋 
Map15



30:08 Scene77:藤棚の下 
Map35



30:12 Scene78:藤棚遠景 
Map36



藤棚の柱の位置が変えられています。ユキノの立つ位置に柱が被らないように配慮されたのでしょうか。


30:20 Scene79:藤棚の下 
Map35



31:00 Scene80:藤棚の下 
Map35


「鳴る神の 少し響みて 降らずとも 我は留らむ 妹し留めば・・・。万葉集。教科書に載ってました。ユキノ・・・先生」
(『言の葉の庭』)

「雨の日の午前中だけ」という口実を自ら破って東屋にやって来たタカオ。彼のこの行動はユキノの投げかけた相聞歌への返歌と、"雨なんか降らなくてもここにいるよ"という彼自身の思いとが共振する場面です。そして、二人を繋ぎ留める絆が"雨"であることを証すかのように、或いは会えなかった時間を埋め合わせするかのように、激しい驟雨が二人に降り注ぎます。


31:49 Scene81:旧御涼亭と藤棚 
Map37



32:05 Scene82:藤棚の下 
Map35



32:30 Scene83:雨の河瀬 
(不明)


32:33 Scene84:藤棚の下 
Map35



枝振りまで見事に再現されていることが分かります。


32:41 Scene85:雨の東屋 
Map15


「わたしたち、泳いで川を渡ってきたみたいね」
(『言の葉の庭』)

このユキノの台詞は、村上春樹の『ノルウェイの森』からの引用です。以下、該当箇所を抜粋してみます。

雨は音もなく執拗に降りつづき、それは僕らの髪をぐっしょり濡らし、涙のように頬を伝って落ち、彼女のジーンズの上着と僕の黄色いナイロンのウィンド・ブレーカーを暗い色に染めた。
「そろそろ屋根のあるところに行かない?」と僕は言った。
「うちにいらっしゃいよ。今誰もいないから。このままじゃ風邪引いちゃうもの」
「まったく」
「ねえ、私たちなんだか川を泳いで渡ってきたみたいよ」と緑が笑いながら言った。
(『ノルウェイの森』(下)講談社文庫 P.234より引用)

ノルウェイの森』の終盤、主人公の僕がヒロイン(の内の一人)の緑と日本橋高島屋の雨の屋上で抱擁するシーンです。『ノルウェイの森』を引用していることは、新海監督が既に幾つかのインタビューで答えていらっしゃいますし、オーディオ・コメンタリーの中でも言及されています。読書家のユキノは無意識の内にこの台詞を口にしたのかもしれません。

なお『ノルウェイの森』については、そのタイトルの由来についてWikipediaに大変興味深いエピソードが載っています。

村上は、この「ノルウェイの森」というタイトルについて、初めは気に入っていなかった。この作品は、「雨の中の庭」というタイトル(ドビュッシーの『版画』より「雨の庭」(Jardins sous la pluie)から)で書き始められ、途中で「ノルウェイの森」というタイトルに変更された。
Wikipediaより引用)

『雨の中の庭』・・・。これが『ノルウェイの森』の原タイトルであったという事実に奇妙な符号を感じずにはいられません。


32:52 Scene86:東屋 
Map15



32:57 Scene87:東屋 
Map15



藤棚から東屋までの距離はせいぜい50mほどです。その距離でこれほどびしょ濡れになるということから見ても、雨がいかに激しいものであったかが窺えます。


33:10 Scene88:千駄ヶ谷門 
Map38



ユキノは新宿御苑に来る時、いつもこちらの千駄ヶ谷門から入園していました。タカオが利用していた新宿門(Scene08)とはほぼ正反対の南側にあります(詳細は後程)。このシーンでこのカットがインサートされるのは、ずぶ濡れになったタカオをユキノが自分のマンションに連れて行ったことを示唆しています。


33:17 Scene89:タワー遠景 
Map42



このビルは千駄ヶ谷門に入る直前、ドコモタワーの方向に視線を上げたところに見えます。Scene88の千駄ヶ谷門カットとほぼ同じ場所で撮影されたものですが、同じアングルで撮ることは無理です(ドコモタワーの角度も少し違います)。参考までに写真を二枚貼付しておきます。


33:18 Scene90:信号機 
(不明)


後に明らかになりますが、ユキノの住む高層マンションは新宿御苑の東側、千駄ヶ谷にある設定です(実在はしません)。Scene90は、新宿御苑千駄ヶ谷門を出てマンションに向かう道すがらのどこかにあるのかもしれませんが、現時点では特定できていません。


33:22 Scene91:エレベーター前 
(不明)


点検中の札が掛かっていて使用できないエレベーター。なにげないカットですが、クライマックスの場面が非常階段であるための伏線というか理由付けです。あえて深読みするなら、エレベーターが使えなくなっている=自分の足で懸命に駆け出すその先にこそ未来は開かれているという隠喩であるとも解釈できます。

「・・・今が、今がいちばん、しあわせかもしれない」
(『言の葉の庭』)


二人の心の声がシンクロする瞬間。私は反射的に新海監督の『彼女と彼女の猫』のワンシーンを思い出しました。なお、この直前の料理を作って食べるシーンでは、二人の声が消されて環境音だけが聞こえますが、実際にはアフレコされた台詞があります。Blu-rayのオーディオ・コメンタリーでは、この場面を「台詞あり」で観ることが出来ます。前半の二人の遣り取りを伏線にしたちょっとしたジョークをタカオが口にして、それを聞いたユキノが笑い声を上げるという展開で、ユキノがこれほど屈託のない笑顔を見せるのはこの一瞬だけです。ご興味のある方はぜひご覧になって下さい。


40:40 Scene92:ユキノのマンション遠景 
Map39(推定)



秦基博の歌う"Rain"が流れ出すクライマックス・シーン。ここは新宿御苑の最東端です。写真はカットの下の方の中央に小さく描かれている外苑西通りの歩道橋の上から撮ったものなので、高度が全く足りていませんが、ほぼ同じ角度で御苑を捉えることは出来ます。

こちらのGoogle Mapの航空写真を見ると、カットに描かれている庭園の実際の形状がよく分かります。従って位置的にはここで間違いありません。しかしこの場所にユキノのマンションはありませんでした。

こちらの写真はScene92の撮影ポイント(歩道橋の上)から真後ろを振り返ったところです。赤茶けたビルの向こう側にあるはずのユキノの住む高層マンションは実際にはありません。建物のモデルが別の場所に存在する可能性もありますが、そちらも今のところ特定できていません。
更に言うなら、カットの中央に描かれているNTTドコモタワーをこの場所から見ることは出来ません。それはもっと画面の左、ちょうど森に隠れて見えない方向にあります。

上掲のMapをご覧下さい。Scene92のカットでは、Mapの青矢印の先にNTTドコモのタワーが描かれていますが、実際のタワーは赤矢印の方向にありますので、本来はありえない光景です。意図的にタワーを画面中央に描き込んだとしか考えられません。またMapと突き合わせて見れば、このカットがほぼ北西の方角を向いた絵であることがお分かり頂けるかと思います。しかし9月でこのような方位(ほぼ北西)に日が沈むことはありません。この絵はどう見ても夏至の頃の日の入りです(日没の方位はこちらのサイトが参考になります*1)。要するにこの場所からは、ユキノのマンションもドコモのタワーも9月の夕陽も現実には見ることが出来ないのです。これまで実際の風景を精密に描いてきたこの作品は、クライマックスの最も重要なシーンにおいて、かなり大胆に虚構の風景を"創り出している"ということが分かってきました。ではその結果、どのような演出効果が生まれているのでしょうか?


もう一度Scene92を見てみましょう。マンションの階段の踊り場で抱擁を交わすユキノとタカオの向こうには、新宿御苑の遊歩道が真っすぐ画面奥に伸びており、その延長線上に日没間近の太陽が輝いています。その右側には(本来そこにあるはずのない)ドコモタワーが夕陽に照らされて屹立し、左右手前のビルやマンションの影の部分と鮮烈なコントラストを描いています。ユキノとタカオのいるマンションから傾斜角度に沿って赤い補助線を引いてみます。するとそこには一点透視図法的な構図が浮かび上がってきます。消失点は左側のビルの中ほどにあります。

このシーンの直前、カメラはまず踊り場にいる二人(青色囲み)を横側からアップで捉えます。私達の視線も二人の姿にロックされます。すぐにカメラはそこから後退を始め、踊り場の二人に軸を置いたように、ぐるりと90°の角度をもって反時計回りに旋回しながら手前に向かって引いていきます。この時点でもまだ私達の目は二人を捉えたままです。


(上)カメラは真横から二人を捉えた後、後退を始める。   
(下)そのまま二人を軸として反時計回りに旋回しながら更に後退し続ける。


続いて画面中央の空に大きな円弧を描く虹色のハレーションが煌きます。私達の視線は踊り場の二人から離れて、その光の方向へと導かれていきます。その光の輪の奥にあるのがNTTドコモタワーです。ほぼ同時に光源である太陽の輝きも視野に入ってきます。

タワーの周囲で虹色のハレーションが円状に煌く。


ここで先の補助線を引いた参考図で、太陽の位置とタワーの尖端部が、踊り場の二人から真横に引いた青い水平線上にあるということに注目して下さい。つまりクライマックスのこの一連のシークエンスは、映像のもたらす巧みな運動性でもって、観る者の視点を否応なく画面の右側→左側へ、具体的には二人の姿→マンション→タワー→太陽へと導いている訳です。


タワーとは、タカオにとってここではないどこか高みへと連れ去ってくれる飛翔の象徴であり、彼の視線の向こうに、夢想の中に、その姿は幾度も登場し、周囲を旋回し上昇していく鳥の姿とともに描き出されます。そして新宿御苑は、言うまでもなくユキノにとっての孤独な魂の救済の場です。


図像学的な意味において、天空に屹立する「塔」は男性原理の、淑やかに雨に濡れる「庭」は女性原理の象徴です。クライマックスを飾るこの場面は、男性の想いが頑なに強張った女性の心を解きほぐし融和を果たす瞬間であり、それは、塔と庭(垂直と水平のアナロジーでもある)、天と地、太陽と雨、光と影、男と女・・・対立するすべての男性原理と女性原理が渾然一体となって止揚する瞬間を描いたものであって、切り取られたその一瞬の光景は、さながら一枚の聖画のような神々しいまでの趣きに満ちています*2


41:05 Scene93:帰り道のタカオ(線路沿い) 
(不明)


JR新宿駅東側のちょうどNTTドコモタワーの横辺りかと思ったのですが、金網やガードレールの形状が一致しません。


41:26 Scene94:旅立つユキノ1 
Map43



新宿駅13番線ホーム中央・総武線の1号車(先頭車両)乗車口付近から千駄ヶ谷方面を向いたアングルです。ただし駅のホームからは下のようなアングルでしか撮れないことが分かったため、最終的には電車に乗り込んで先頭車両のフロントガラス越しに撮影しました。

ここは13番線ホーム。電車は手前からやってきて画面奥の光の差す方向へと進んでいきます。今は薄暗がりの中にいるユキノも、これから光に溢れた場所へと歩み出ていくことをこのカットは示唆しています。


41:29 Scene95:旅立つユキノ2 
Map43



こちらのカットもScene94と同じ場所ですが、写真はホームから撮影したものです。


DVDのキャプチャでは見えづらいですが、このシーンで彼女が読んでいる本は『式子内親王』(馬場あき子:ちくま学芸文庫)です。

式子内親王 (ちくま学芸文庫)

式子内親王 (ちくま学芸文庫)

画像が表示されないようなので、表紙はこちらでご確認下さい。


41:58 Scene96:JR高架下 
Map40



この後に登場するScene97のアップです。後述しますが、このカットは50mほど離れた位置から望遠で捉えたものなので、私の手持ちのコンデジでは撮影に限界がありました。そのため、Scene97で撮影した写真の一部を拡大してトリミングしています。肌理の粗い画質ですがご容赦下さい。

少し引きの位置で撮影するとこうなります。


42:02 Scene97:JR高架下 
Map40



Scene96の引きのカット。この場所は新宿御苑千駄ヶ谷門から北参道の交差点に向かう途中です。撮影ポイントはMap40をご覧になればお分かりの通り、高架下から50mほど離れた場所にあります。学校からの帰り道のようですが、これはどういうシチュエーションなのでしょうか?(3人で新宿御苑に寄った帰り?)

奥の赤い物体は、日本デザイン専門学校の看板でした。


44:37 Scene98:エンドロール 
(不明)


Scene19で言及したカットです。本編中にこのカットは何度も登場します。しかもこのエンドロールでは季節と時間の移り変わりを延々とワンカットで描いています。しかしこれほど重要な背景でありながらどこから撮られたものなのか、実はいまだに分からないのです。Scene19で述べたように新宿御苑からこのアングルを捉えることは絶対にできません。ある意味、『言の葉の庭』最大の謎です。

Scene19の拡大図。NTTドコモタワーとコクーンタワーの重なり合う場所はいったい・・・?


参考までに以下の地図をご覧ください。NTTドコモタワーとモード学園の繭状の建物(コクーンタワー)が劇中のカットと同じようなアングルで重なり合うと想定される場所を示したものです。この赤い線上のどこかにそれはあるはずです。
「言の葉の庭」 NTTドコモタワーとコクーンタワーの重なる位置.pdf 直

Snene19の取材写真国学院高校そばの公園から撮影したものですが、周辺のビルの形状等から判断して描かれているのはこの場所ではないということは先に述べました。その後、千駄ヶ谷鳩森八幡神社(タカオのバイト先の近く)、青山霊園、果ては六本木ヒルズまで足を運んでみましたが、すべて空振りに終わりました。次の機会にもう少し時間を取って集中的に調べてみたいと思います。


【追記】
その後、当記事にお寄せいただいたコメントでその場所が判明しました。まさに私が予想した赤い線上にそのマンションはありますので、ほぼ間違いないと思います。このマンションの一室が恐らく新海監督の仕事場のひとつか、或いはプライベートで借りていらっしゃる部屋で、そのベランダか窓からの眺めがこの風景なのだろうというのがひとまずの答えです。


以下の私のtweetでキャプ内に嵌め込んだ写真は、当記事のコメントでご教示いただいた不動産屋のサイトの写真を引用したもの。エンドロールのカットと実際の風景とでは手前と奥の建物に微妙なズレがあるのが分かります。これは恐らく写真を撮影した部屋(ベランダ)が異なるためでしょう。



新海監督はここから撮った風景写真をたびたびtweetされています。以下はそのひとつ。この写真を見るとエンドロールのカットとほとんど一致していることが分かります。


45:30 Scene99:靴 
Map15



ラストシーンは雪の新宿御苑。雪は雨が別の形に姿を変えたもの。不定形に流れてしまうのではなく形となって触れることの出来る結晶への変容(ただしそれは触れればやがて水に還る)。それは二人の想いの有り方の変化を象徴しています。


一方でこのラストシーンは、私にはタカオが東屋に靴を置き去ったようにも見えます。ユキノが自由に歩けるようにと願って作った靴は、もしかすると今のユキノにはもう必要のないものなのかもしれません。だからこそ靴をそこに置いて、靴を持っていくことを理由とはせず、タカオ自身の意志として「いつかもっと、遠くまで歩けるようになったら、会いに行こう」という台詞を語らせたと解釈することもできるでしょう。タカオが自分の進む道をしっかりと見定め、自らの意志で将来に向かって歩き出し、ユキノと正面から向かい合うことが出来るだけの自信をつけた時、遠からず二人は再び出逢うことになるのではないでしょうか。


この映画で東屋は、人生に迷った人が束の間の休息を取る時間と空間の象徴でした。だから二人はいつか東屋ではない、どこか別の街で逢うことが出来るのではないかと・・・そう信じてみたくなります。

「歩く練習をしていたのは、きっと俺も同じだと、今は思う。いつかもっと、遠くまで歩けるようになったら、会いに行こう」
(『言の葉の庭』)


■タカオとユキノの足跡をたどる(東屋へ至るルートMAP)
さて、ここまで「言の葉の庭」に登場した舞台背景をストーリー順に紹介してきましたが、ここでおさらいの意味も込めて、タカオとユキノが雨の日にそれぞれどのようなルートを辿って新宿御苑の東屋まで通っていたのかを図解しておこうと思います。


以下のMAPの青い線が、新宿駅から新宿門を経由してのタカオ・ルート。赤い線が千駄ヶ谷のマンションから千駄ヶ谷門を経由してのユキノ・ルートです。画像は拡大してご覧になれますし、元ファイルもpdfでダウンロードできるようにしておきました(↓)。ご自由にご活用下さい。
「言の葉の庭」新宿御苑(東屋)へ向かうルートMAP.pdf 直

Google Mapでもご確認頂けます。

より大きな地図で 新宿御苑(東屋)へ向かうルートMAP を表示
マーキングしている場所の中には、新宿御苑へ通う道中の背景としては描写されていないものもありますが、これらは各々のルートのミッシング・リンクを埋める有力な手掛かりと考えて採用したものです。


■終わりに代えて:断章的に
最後にこれまでの文中では語りきれなかった私自身の「言の葉」を断章形式で記すことで、この記事の締め括りとしたいと思います。

"愛"よりも昔、"孤悲(こい)"のものがたり。
(『言の葉の庭』キャッチコピーより)

●"美しい嘘"
精巧なディテールに貫かれた『言の葉の庭』の背景は、そのあまりにもリアルな描写ゆえに、一見すると写真をそっくりそのままトレースしたように見えますが、実はそこには幾つもの虚構や演出的意図が混じっているということが今回の取材でよく分かりました。現実の風景を写真から単純にコピーしたように見えて、微妙なところで恣意的な改変の手が加えられています。Scene64の斜めに傾斜させた描写やScene92のマンションのカットに顕著なように、現実には存在しないものが描き込まれていたり、逆に現実に存在するはずの風景の一部が取り去られていたり、見え方を変えられていたりします。それは言わば、現実よりもリアルな虚構の世界を描き出すための"美しい嘘"とでも言うべきものであって、ここではアニメの背景は物語を「物語る」ための装置として機能し、その場所は演出上の必然として選び抜かれ、必要に応じて改変を施されています。


作品の舞台となった場所を実地で探査して、現地に足を運ばなければ決して知ることの出来ない情報を見つけ出した上で、描かれた背景に隠された意味や意図を探り出すこと。それは作品の演出意図を考察することと同義であって、少なくとも私にとってはそれこそが舞台探訪という活動の醍醐味だと思っています。『言の葉の庭』は背景描写が精緻であるからこそ、逆に意図的に手を加えられた"美しい嘘"が一層際立つという構造になっており、現地を訪れてみて「そういうことか・・・」と感嘆の溜息が漏れることもしばしばでした。


万葉集/言葉と雨だけの関係
雨の朝の東屋でしか出逢うことのない二人の儚い逢瀬は、互いの言の葉を拾い集め、積み重ね、そしてその言葉によって救われていく物語です。


作品のモチーフとなる『万葉集』は、その名の通り、万づの言の「葉」を集めた歌集です(「万の世に至るまで末永く伝えるべき歌集」という説もあります)。天皇から下級役人に至るまで当時のありとあらゆる身分の人々が残した心の声は、人を想う気持ちがいつの時代にあっても普遍的で変わらないものであることを現代に生きる私達に伝えてくれます。


その万葉集の相聞歌になぞらえた『言の葉の庭』の物語は、タカオとユキノとを結びつけるものが"雨"と"言葉"だけであるという、情報過多の現代社会にあっては驚くほど質素で慎ましやかな関係性の上に成り立っています。そのシンプルな関係性は、淡い一筆書きのような物語構造の根幹を成すものであり、同時に「万葉集」における太古の人々の普遍的な感情を現代に蘇らせたような趣きをも感じさせます。「言の葉の庭」に古典作品の風格が備わっているように思えるのはそれ故なのかもしれません。


●靴と東屋
言の葉の庭』の"靴"や"東屋"のメタファーは決して難解なものではありません。そのまま素直に受け取れば良いはずです。「歩き出すための練習」という台詞があります。"靴"は誰かの支えとなるための、その人が一人で人生を歩んでいけるための心の支えとなるもの。クライマックス・シーンのユキノは、社会的な体面も年齢差も全てを振り切ってタカオの元へと裸足で駆け出しました。彼女は自らの本心に従うことで、"靴"などなくても走り出せたのです。


"東屋"は人生の束の間の休憩場所、エアポケットのような緩衝地帯と言えるでしょう。そこは抱え込んだ日常の悩みや苦しみやしがらみを置き去りにしたままで、何者でもない無名の人として振る舞える場所です。けれど、いつかはそこから出て行かなければならないことを宿命づけられた場所でもあります。人生のほんの一瞬だけ交錯したタカオとユキノも、この物語が終わる頃には、自分自身のそれぞれの足で歩いてこの東屋を去らなければなりません。年若いタカオにとって「この世界の秘密そのもの」に見えたユキノもまた人間関係に悩み苦しむ一人の生身の女性でしかありませんでした。その事実を受け止め、夢から醒め、雨が止んで、互いの名前を知った時に、東屋での逢瀬は終わりの時を迎えました。でもそれは東屋でのかりそめの関わりの終焉であって、彼ら自身の本当の人生はこれから始まるのです。


●距離/時間/速度
新海誠監督の作品では"距離と時間と速度"というモチーフが繰り返し描かれます。2人もしくは複数の人との間の距離、それぞれの人が積み重ねてきた時間、互いに異なる物理的/心理的な速度。そこから生み出される差異と変化の諸相の裡に人の心の弱さと美しさと喜びと悲しみを描き出すこと。これが新海監督の作品に通底するテーマであるように私には思えます。


SFファンタジーではなく日常生活を描いた作品という意味で、『言の葉の庭』は『秒速5センチメートル』(2007年)と比較して語られることが多いでしょう。しかし『秒速』に見られる登場人物の恬淡としたモノローグが、人生の機微を感じさせながらもどこか諦念と無力感の漂うものであり、決して相手に届くことのない喪失感を抱えた心の声であるのに対して、『言の葉の庭』においてはそうした無力感に満ちた他者との関係を乗り越える能動性が強く感じられます。クライマックスのタカオとユキノの姿はそれを最も鮮烈な形で描き出します。


"距離と時間と速度"の重力に囚われることを善しとせず、自らに科せられた運命を振り切るかのごとく激しく感情を迸らせ、真正面からぶつかりあうタカオとユキノ。ふりしぼるような声音でユキノを激しく責めるタカオの言葉は、しかしそれが彼の真意とは裏腹のものであることは頬を流れて止まない涙がすべてを物語っています。切実な感情の吐露。その姿にすべてを理解してタカオの胸に飛び込み慟哭するユキノ。雨は上がり、祝福の陽光が二人を照らし出す・・・。*3


秒速5センチメートル』における登場人物の閉塞感の強いモノローグから、たとえいびつでぎこちなくても互いに真正面から向き合って心情を晒け出すダイアローグへ。男女の距離を巡る表現のベクトルに大きな変化が感じられます。この変化は新海誠監督の次作にどのような進化と深化をもたらすのでしょうか。


●"Greenery Rain"*4
映画館の中で雨と緑の匂いに包まれる濃密な時間を登場人物と共に生きて、彼らの心情とリアルに共振する。このような"体験"は久しぶりのことでした。鬱陶しいとしか思えなかった梅雨の季節が好きになるような、雨の日が待ち遠しくなるような、そんな思いにさせられる作品でした。*5


『秒速』のほろ苦いラストとは異なり、希望を残して終わるラストシーンですが、この先に待ち受けているであろう"距離と時間と速度"の差異は、再び出逢うかもしれない二人を次第に引き裂いていくかもしれません。先のことなど誰にも分かりません。それでも・・・タカオとユキノの未来に幸あれと、そう願わずにはいられません。


(了)


【追記】
その後、当記事は新海誠監督ご自身の目に留まり、監督から直々に次のような賞賛の言葉をいただくという身に余る栄誉に浴する出来事がありました(当記事リリース後、まもなくのことでした)。



まさか新海監督ご本人にお読みいただいて、しかもお誉めの言葉を頂戴することになるとは、想像の域を超える出来事でした。

当記事に掲載した『言の葉の庭』の画像および台詞は、著作権法32条に定める研究その他の目的として行われる引用であり、著作権は全て、新海クリエイティブ/コミックス・ウェーブ・フィルムに帰属します。

MAP

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(2013/9/26 記)

*1:ちなみに劇中と同じ日に太陽がどの方向に沈むのかをこのサイトでシミュレートしてみました。2学期が始まった最初の登校日に喧嘩→翌日に御苑という流れであれば、2013年は丁度9/3(火)が該当します。結果はなかなか興味深いものでした。この日、ユキノのマンション付近からは、夕陽はドコモタワーとぴったり重なるように沈むのです!現実的には御苑の森に隠れて見えないでしょうが、付近の別の高層マンションの階上からであれば見れるかもしれません。

*2:二人を祝福するかのように雨が上がり、陽光が射し込む瞬間を描くという意味では、このシーンは東屋での足の採寸シーンのリプライズでもある訳です。

*3:このクライマックス・シーンでテーマ曲の"Rain"(歌:秦基博)が流れ出す一連のシークエンスの素晴らしさは、幾ら賞賛しても賞賛し足りないほどに見事です。入野さんと花澤さんの入魂の演技は、リテイクなしの一発OKだったそうです。

*4:KASHIWA DaisukeさんのサントラCD-M2のタイトルです。

*5:劇伴の音楽も素晴らしいのでこの点についても一言。雨粒が飛び跳ね、雨垂れとなって静かに地を打つ様子が目に浮かぶピアノの静謐な調べはとてもイマジナティヴで、この映画に静かな気品を与えています。ただしサントラCD(演奏:KASHIWA Daisuke)は単体での発売予定がなく、Blu-rayディスクの特典でしか入手できないのは残念です。キース・ジャレットのソロ演奏を思わせるような(たとえばケルン・コンサートのような)静謐と激情を兼ね備えたこの音楽はもっと広く知られるべきでしょう。