【舞台探訪】『氷菓』:千反田邸でお茶を ~加茂荘探訪記 (@静岡県掛川市)

2012年4月から放映が始まった京都アニメーション制作のTVアニメ『氷菓』の舞台探訪記事です。今回は第4話に登場したヒロイン「千反田える」の実家のモデルとなった場所の取材です。

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昨年12月末、私は『氷菓』のキービジュアルが公開された直後に舞台となる岐阜県高山市まで足を運び、背景に描かれた場所の撮影をして、現地で得た印象について記事を書きました(→「【舞台探訪】『氷菓』:キービジュアルの背景、および原作の舞台探訪を少々」)。その際、原作に登場する幾つかのキー・ポイントについても「今後、アニメに登場するかもしれない」という希望的観測の下に"プレ探訪"という形で記事にしておいたのですが、5月中旬の第4話放映時点で先の予想を大きく軌道修正せざるを得なくなる幾つかの事実が発覚しました。


その最たるものが"豪農"「千反田邸」のモデルです*1

ネット上の原作スレや数々の考察サイトでも千反田邸のモデルは高山市内に実在する「旅館四反田」さんであるというのは定説となっており、実際、原作ではそこへ至る道筋、地理的条件、建屋の外観等、その描写の多くが「旅館四反田」を示唆するものとなっているため、私もこの旅館で間違いないと確信していました。しかし第4話で登場したその場所は「旅館四反田」とは似ても似つかない建物でした。否、それどころか更にスケールの立派な、まさに"豪農"の称号を冠するに相応しい大邸宅だったのです*2


実は「千反田邸」が登場すると予想された第4話が関東で放映される直前*3Twitter上で「千反田邸はもしかすると加茂花菖蒲園かもしれない」という呟きを発見しました。その瞬間、毎回EDに「加茂花菖蒲園」の名がクレジットされていることの意味を悟って「加茂花菖蒲園」をネットで調べたところ、そこには庄屋屋敷の風格を備えた「加茂荘」さんの堂々たる偉容が。「やられた!」というのが第一声でした。そして、関東での放映が終了した直後、番組を録画した方から提供頂いた画像で確認した結果、「千反田邸」=「加茂花菖蒲園の加茂荘」で間違いないと断定するに至ったのです。


加茂花菖蒲園」の名前は第1話からしっかりEDのクレジットに登場しています。なぜこのような施設が取材協力しているのだろうと疑問に思ったこともありましたが、千反田邸に限っては「高山の旅館四反田」で間違いないという強力な思い込みに頭を支配されていたため、ロクに調べるという気すら起こりませんでした。先入観は怖い。完敗です。自分の思い込みによるミス・リードをつくづく呪った次第です。どういう経緯でこの場所が千反田邸のモデルに選ばれたのかについては、京アニスタッフの証言をぜひ聞いてみたいところです*4


その「加茂花菖蒲園」「加茂荘」は静岡県の掛川にあります。高山とは随分離れていますね。

先週の日曜日(2012/5/20)、所用で東京へ行った帰り道に新幹線を途中下車して、早速現地を訪問してきました。以下は千反田邸=加茂荘の探訪記です。写真は全て2012/5/20(日)撮影のものです。



東海道新幹線をこだま号に乗り換えて掛川駅を下車。すぐ北隣に接している天竜浜名湖鉄道に乗り換えます。



ローカル線ののんびりした風情を堪能しながら、約20分で最寄りの原田駅に到着。


ここから更に約20分ほどてくてくと歩いていくと、小さな橋を越えた向こう側に延々と横に伸びる白壁が見えてきます。「加茂花菖蒲園」を取り囲む外側の壁です。なおこの場所は、先日開通したばかりの新東名高速道路の森掛川ICからも近く(3km 約5分の距離)、大きな駐車場を完備していますので車で行かれても便利です。


この白壁だけでも一見の価値はあるでしょう。


入場料金は大人1,050円です。

訪問した当日は花菖蒲にはまだ早かったのですが、その代わり温室内はまさに百花繚乱の趣き。その豪奢で華麗な花々の饗宴をじっくり鑑賞する間もなく温室を出て、花菖蒲園の脇を抜けて更に左手奥へと進みます。


ここが「加茂荘」。アニメに登場した千反田邸のモデルです(入場料として別途500円が必要です)。

位置関係が分かりにくいと思いますので、第4話に登場した上空からの俯瞰図で確認してみましょう。見ての通り、この俯瞰カットは実際の「加茂花菖蒲園」そのままです。


ホータローと里志が自転車を置いて入って行ったと思われる門は5番の矢印ですが、実際の加茂花菖蒲園の入口はここではなく、1番の矢印の入ってくる方向に当たる左上の建物の中です。先程の写真で料金表が掲げられていたのもここ。温室はそのすぐ脇にあります。
また5番の門は平坦な道に面しており、劇中のような階段の上ではありません。実はこの階段から外の風景は高山市内の某所であることが分かっていますが、これはまた次回高山訪問の宿題ということに。


さて、ここからいよいよ「加茂荘」へ入館します。
先の絵で言うと4番の矢印の門をくぐります。門の脇には「加茂荘」の来歴を記した看板がかかっていました。

※画像をクリックして「オリジナルサイズを表示」を選択すれば拡大してご覧になれます。


そこから左手にある母屋へ向かい、玄関をくぐって中へ入ると目の前には広々とした土間が広がっていました。

右手の壁には農作業で使う鍬や、藁で編まれた蓑や笠が掛けられていて、仄暗い空間を奥へ進むと片隅には火をくべられた竈が二つ。左手の一段高い座敷の向こうは遙か先まで延々と畳の間が連なり、正面の開け放たれた縁側越しには池のある庭が見え、どこからともなく鳥の囀りが聞こえてきます。とても静かです。

小上がりで靴を脱いで座敷に上がろうとした時、ふと、このようなものを発見しました。どうやら加茂荘の従業員さんが用意されたもののようです。そうこうしていると従業員さんに声を掛けられたのでしばしお話をしました。

制作会社(京アニ)のロケハンは昨年の夏頃にあったこと、その時は加茂花菖蒲園の社長を筆頭に従業員総出で室内を案内したこと、『氷菓』第4話放映後から急に若いお客さんが増えたこと、遅ればせながらアニメを見てどの場所を使っているのかを確認したこと、そしてそのようなお客さん向けに無料でガイドをしていること等等等・・・。アニメのロケ地となったことを迷惑に思っておられる様子は微塵もなく、むしろ無料ガイドを自ら買って出るほど大歓迎されている様子が言葉の端々から窺えました。もっとも加茂荘では映画やドラマのロケが頻繁に行われているそうなので、ロケ地訪問の客がにわかに増えるという事態に際しても鷹揚に迎え入れる態勢が出来ているのでしょう。


ではここからは、キャプと写真を順番に紹介していきましょう。
全体に言えることは遠近感のデフォルメが強く、劇中に登場した通りのアングルで撮影するには、地味に難易度が高いということです。また後で出てきますが、4人が集まった部屋は二部屋の並びではなく十畳一間の一部屋のみです。そのため、実際に撮影するとあれこれおかしなことになります・・・。



千反田邸の「内」と「外」とはきっぱり別の風景であることがよく分かります。「外」(左半分)の景色が高山市内の某所と合致するか否かは後日現地取材で確認してきます。


加茂荘の実際の玄関は先の写真にある土間のある出入口の方で、こちらの玄関は通常時は締め切られていて出入りすることは出来ません。また見ての通り、アニメのような広々とした三知土(たたき)はなく至って手狭です。位置的には、土間から座敷に上がった2部屋目の左手にあり、ここから4人の会議部屋までは縁側の廊下で繋がっているので、この周辺はほぼ現実の建家通りに描かれています(遠近感はかなり誇張されていますが)。


ここが加茂荘の土間から連なる座敷の一番奥の部屋で、北西と南西の二面が庭に面している角部屋です。4人の会議部屋(の一部)がこの場所です。
参考までにこの部屋から土間に向かって逆方向に撮影した写真を掲載しておきましょう。手前から土間へ向かって3つ目の部屋の右側に衝立がありますが、ここが先のアニメ版の玄関に当たる場所です。写真の右側にかすかに写っていますね。
【参考】





4つ前の座卓からここまでの写真は、いずれも土間を上がって1番目と2番目の部屋の中にあります。



これが問題の会議部屋です。現実には一部屋しかありません。額縁や掛軸や布袋さんはすべて実際に部屋にあるものがそのまま描かれていますので、アニメの方は基本的にこの部屋を忠実に再現した上で、縁側との間にもう一部屋分を挟み込んでいます。恐らく画面に奥行きを持たせることで、"豪農千反田邸"の半端でないスケール感を強調する演出だと思いますが、その意図は充分に成功していると言えるでしょう。
ただし後述しますが、これによって左手の襖絵にちょっとした細工が施されることになります。



飾られているのは壺ではありませんでした。



観覧時間内は襖はこのように開かれているので、見た目の印象が少し異なります。






今回、キャプチャ等の資料は印刷物を持参したのですが、それが仇になって暗所では殆ど手元が見えず、上の2枚の写真は半ば勘で撮影しました。微妙にアングルがずれているのはそのせいです。携帯で手元を照らすとかのアイデアがなぜ出なかったのか。


場所は変わって入口の土間に近い大広間から池を臨むアングルです。絵に合わせると石灯籠の位置がどうしても合わないので、少し角度を変えて撮影した写真も掲載しておきます。


この写真は池の脇にある東屋から撮影したものですが、そこからだと私の手持ちのカメラ(Nikon COOLPIX P300)では到底広角が足りません(広角24mm)。MS-ICEで結合して雰囲気だけでも再現してみました。
なおアニメでは縁側に座る4人の姿を庭から捉えたカットが複数のアングルで登場します。しかしこれらの内の幾つかは一般客が立ち入ることの出来ない地点から撮影されたものです。施設側が制作会社に全面協力した賜物という訳ですね。

庭の撮影をしていると、わらわらと鴨が集まってきました。加茂荘の名に相応しく庭の池には鴨がいっぱいいて、料金を払えば餌を与えることも出来ます。





前述した通り、こちらの玄関は実際にはもっと狭い空間です。廊下と同じ幅しかありません。

これは、もう少し下からのアングルでした。



ひと通りの撮影を終えたのは16:30頃。閉館時刻の17:00が近いということもあって、既に客は私ひとりです。
(ああ、今、千反田邸の中にいるのは自分だけなんだな…)
と、不思議な感慨にふけりながら、庭の池で泳ぐ鴨の姿をぼんやりと眺めつつ、熱いお茶を一杯頂きました。これが実に旨い。ここがお茶どころの静岡県であることをあらためて思い出しました。サービスで甘酒まで頂いてしまって、大変良い思いをさせて頂きました。


ここで思い切って従業員さんに「襖絵を閉めた状態で撮影させてもらえないか?」とお願いしてみました。邸内の襖は通常時は全て開きっぱなしの状態になっており、4人が集まった部屋の襖絵の全体像を確認することが出来なくて残念に思っていたからです。さすがに無断で動かす訳にもいかないので、あわよくば許可が下りればと思って申し出た訳ですが、


「もう他にお客さんもいらっしゃいませんし、私が立会いますので一緒に行きましょう」


と快諾して頂きました。ありがたいことです。早速、2人で奥の部屋まで行って、4枚の襖絵を綺麗に並べた状態で写真撮影させて頂きました。

※画像をクリックして「オリジナルサイズを表示」を選択すれば拡大してご覧になれます。


4人が集まった部屋の背後に描かれている襖絵(位置的にはホータローの背中側)のモデルとなったこの絵は、今から250年前に描かれた加茂荘では最古の襖絵だそうです。興味深いのは、現実には存在しない廊下側の部屋にもアニメの中では似たような襖絵が描かれていることで、これと同じものが邸内のどこかにあるのだろうかと従業員さんに"存在しない部屋の襖絵"のキャプ(以下の絵)を見せたところ、このような襖絵は加茂荘にはないとの証言を得ました。恐らく先の4枚の襖絵を元に制作会社で「創作」されたのではないか?というのが従業員さんの見解でした。

↑この襖絵と同じような絵は加茂荘内には存在しないとのこと。


アニメの背景画と実際の襖絵とをじっくり見比べてみると、アニメに描かれた襖絵はオリジナルと非常によく似たタッチで描かれていますが、機械的にトレースしたものではなく、元絵の描線のエッセンスをうまく活かして、似て非なる絵に仕立て上げていることが分かります。この技術があるからこそ、廊下側の部屋の「架空の襖絵」も何の異和感もなく描き上げられたのでしょう。

※画像をクリックして「オリジナルサイズを表示」を選択すれば拡大してご覧になれます。


更に場面によっては同じ箇所でありながら微妙に絵が異なるものがあるという点にも気付きました。例えば上掲の比較写真をご覧頂ければ分かる通り、ホータローと里志の背景の襖絵はほぼ同じ部分を写したものですが、引手周辺の絵は明らかに違います。別の場面では更に異なる絵になっています。

写真からのトレースではない、同一背景画の使い回しでもない。場面間の整合性が取れていないという印象よりもむしろ、襖絵ひとつ取っても、結構な手間暇をかけているんだな・・・といったようなことをあれこれ考えながら襖絵の前を行ったり来たりしていると、不意に従業員さんから思いもよらない言葉が飛び出してきました。


「襖絵と言えば・・・ほら、女の子の部屋が出てきますでしょ?あの部屋は分かりましたか?」
「え!? あれ、本当にあるんですか?」
「ええ、アニメの中に出てきたあんな個室じゃないんですけどね、描かれてる襖絵と同じものが置いてある部屋があるんですよ。なので私達は多分ここが女の子の部屋だろうって案内してるんです。ご覧になりますか?」
「ぜひ!」


通されたのは階段を中二階程度上がった小部屋で、襖で仕切られただけの開放的な畳敷きの和室です。従業員さんの仰る通り、アニメに登場したえるの個室とは似ても似つきませんが、部屋の片隅の襖絵は確かに同じものでした。

【拡大図】


「恐らくこの部屋を元にして個室の勉強部屋みたいに創られたんでしょうね。」


アニメに描かれた「えるの部屋」は、襖絵だけでなく画面左側の障子(?)のような特徴的な造りが他にも見て取れます。しかし、この和室内には見当たらないものなので、加茂荘内の別の部屋の内装を合成させているのではないか?と仮説を立ててみたのですが、ちょうど閉館時刻の17:00が来てしまいました。タイムアップです。


それでも四連襖絵を撮影できたこと、えるの部屋のモデルを確認できたことに満足して、お世話になった案内役の従業員さんに御礼を言ってから夕闇迫る花菖蒲園を後にしました。


それにしてもあのお茶は旨かった。

当記事に掲載した「氷菓」の画像は、著作権法32条に定める比較研究を目的としての引用であり、当該画像の著作権は全て米澤穂信角川書店/神山高校古典部OB会に帰属します。


(2012/05/27 記)

*1:似たようなことは、折木奉太郎の家についても言えますが、こちらの記事はまた後日。

*2:今回、色々とお話を伺った加茂荘の従業員さんは、雨戸を全部閉めて回るのに30分かかると仰っていました。

*3:チバテレビが日曜深夜で最速、関西ではKBS京都が月曜深夜の放映です。

*4:その後の調べで、ホータローと里志が千反田邸(=加茂荘)まで自転車を漕いで向かった道筋は、掛川加茂花菖蒲園の周辺ではなく高山市内であることが明らかになっています(5/25時点)。しかしそのルートも「旅館四反田」のある丹生川(にうかわ)付近ではなく、もっと南の江名子地区です。どうやらアニメ版の千反田邸は、建築物だけでなく位置的なモデルも「旅館四反田」とは全く無関係な設定になっているようです。